2016.04.20 Wednesday

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2013.01.25 Friday 14:07

結婚するということ

結婚をするということは、自分の生活に責任を持ってもらうのではなく、

自分が相手の生活に責任を持つということだと気づいた。



自分の生活の責任は自分で背負って、相手の生活にも責任がある。

恋愛とは明らかに違う現実がある。





責任を真剣に考え出したら、おいそれと心療内科通いの事実を告白できない。



ドクターと心理士さんと共に相談を始めた。



幸い、私はもうBPDのクライテリアは満たさないらしいので、実生活に害があるようなことはないだろうが、

やはり、相手を驚かさない伝え方は大事だ。





私が守られるために結婚するんじゃない。

相手と自分の幸せを守るために結婚して、いたわり合って生活するんだ。





神様、どうか、このまま幸せにならせてください。

この人を大切にしたいと思う気持ちを私から奪わないで。

もう、病気の私には戻りたくない。

自分も、相手も大事にしたい。



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2011.07.11 Monday 22:03

誘いたい。誘いたくない。

内科のドクターと私、相変わらず仲がいいと思う。
私が製薬会社勤務なので、共通話題があることが多いからかもね。
毎回、色んな話題が出てくる。
主にドクターが私のことを訊いてくることが多く、私からはなんとなく訊き返せない。
喉元まで出かかる質問をぐっと飲み込んでしまう。
ドクターと患者の一線を越えて踏み込むことをためらう(←ドクターの方はためらいもなくズカズカだけど・・・(;´Д`)

もっとよく知りたいな。とも思うし、もっとじっくり話しを聞きたいとも思う。
私にとって、この「知りたい」や「聞きたい」はすごく大きな進歩。
BPDまっさかりの頃は「私をわかって」しかなかった。
相手のことを知りたいとか、話を聞きたいとか、理解したいとか、そういう思いにまで至る余裕はなかった。
今の私の感情はとても自然で健全だと思う。
自分が理解してもらうことよりも、相手を理解したいと思う欲求。
これはとても正しい形の愛情だと思う(恋愛に限らず、友情でもなんでも)
自分の心の状態がひどく悪かった時は、そんな愛情なんか一滴たりともなかったけど、
相手のことを慮ることができる、今の自分を嬉しく思うし、誇らしくも思う。
そして、「戻ってきた」と感じてる。
元の自分に戻ってきたと・・・。


患者として、医者との距離感を保ちたい気持ちもある。
良いドクターだと思うからこそ、個人的な感情抜きに、医者と患者のちょうど良い関係を維持したいと思ってしまう。
これも自然な感情。

同時に、異性としての興味もある。
私はドクターに対して、very much curiousなのだ。
だから、もっと知りたいと思う。
診察の合間にポロポロ出てくる雑談のその先をもっと訊きたい。知りたい。
「知りたい」と思えるほどに惹かれている事実。
もっと相手のことを良く知って、もっと好きになりたいと思う自分の欲求は、それはとても自然なものだと受け止めている。後ろめたいことなんかない。

でも、どこかで立ち止まる自分がいる。
良いドクターで、診察が楽しくて、お互いにちょうど良い距離感(利害関係なし)で情報提供もしあえて・・・
「この関係、これで完結しているんじゃない?」と思えてしまう。
無理やり発展させなくても、このままでも、十分満足できているんじゃない?と。

自分の中で進みたいのか、留まりたいのか、答えがでない。
だから、何も言えない。
Can't show my interests straight...(相手は気づいているかもだけど!w)


きっと、答えが決まらない内は、まだまだ待つ時期なのかも知れない。
焦る気持ちが湧き出すこともあるけれど、何よりも、私は「大切にしたい」んだと思う。
自分の思い描くような関係性(恋人同士)に至らずとも、ドクターと接する機会があるだけで満足できるし、今のこの関係性が大事なんだと思う。
失うことを恐れるという気持ちも多少あるけれど、やっぱり、大切にしたいが一番しっくりくるかな。
この先も感情が育つにしろ、別のものへ変化するにしろ、その過程も含めて、全部が大事なんだなぁ・・って。
そして、こんな風に「大切」って思っている時ほど、すごく好きなんだろうけどねぇ。

まだまだ、先を見守る関係性か・・・。
長期戦、どーんとこい!だぁ〜!w

抑うつ反応があっても、恋愛感情もあるなら、まだまだ大丈夫だな(*´ω`*)にやり

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2010.11.25 Thursday 22:03

幸せにする責任

無職継続中です。
仕事のこと、恋愛のこと、将来のこと、いろいろ悩む。

悲しいこともあるけれど、
考え方を変えれば、色々悩むチャンスを貰ったと考えればいいかな・・・と。
情緒的に安定してきて、ゆっくり自分の将来とか、様々なことを、自分自身にとことん突き詰めていくには、忙しい日常から離れた時間を持つことも大事だと思う。

煮詰める作業は、本当に疲弊する。
自己肯定感が強い人はそんなに大変じゃないんだろうけれど、なかなか自分を認めてあげることができない自分にとって、
「自分の能力」を正当に評価するのはとても苦しい。
どうしても不安感が伴うし、自己卑下して楽に逃げようとしてしまう。
自己卑下が楽なんて、おかしいよね。


ここ数ヶ月、ぼんやりと思ってきたことがある。
それは、幸せって、誰かが持ってきてくれるものではなく、
自分で幸せになりにいかなきゃいけないんだということ。

単純に言えば、
一生懸命頑張って自分磨きして生きていれば、私を理解してくれる素敵な王子様に出会って、愛し合って、結婚して、家庭に入って、子供生んで、母になり、幸せな家庭が(勝手に)築かれると思っていた。

一般的な幸せの尺度の表面だけ見て、望めば(願えば)何の努力もなしにそのまま手に入るものと思い込んでいた。
私を理解して、寛容に接してくれる「Mr. Right(運命の人)」にさえ出会えば、すべてが上手く進んでいくと思っていた。
今もその思いは消し去れない。
でも、違うってことにも気づき始めた。
人と人はお互いに努力して関係を築き合い、その結果が幸せに繋がるものであって、
誰かが幸せを携えてやってくるものではない。
与えられるだけで幸せになれるのは、ほんの幼児の頃だけだろう。
ここに私の中の幼児願望が根強く残っている気がする。
どうやって払拭できるものなのか・・・。


好きな人がいる。
別れた恋人への思いをどうしても断ち切れない。
ただ甘えたいだけなのか。
記憶の中の愛情を求めているだけなのか。
とにかく、何かを求めている。
だけど、与えたいとは強く思っていない。
私なんかが彼にしてあげられることなんか何も無い。
愛される価値も無いとさえ思う。

結局、以前と同じ「欲しい(与えられたい)」だけしかない。
私が変わらない以上、以前と同じことを繰り返す。
それは相手も自分も不幸だ。
もう一度やり直したいと思うのなら、もっと強く何かを持たなければいけないと思う。
それこそ、彼を愛することができて幸せと思えるくらいの自己満足とか・・・?
優しくして欲しいと望んでいるだけで、相手に優しくしたいと望めないなら、自分勝手な感情だ。
それは愛情じゃない。
渇望だ。


仮に、彼とまた付き合いだしたとする。
それだけで私は幸せになれるだろうか?
否。
仕事への不安も、将来への不安も払拭できない。
ましてや、彼は既婚者だ。
様々な角度から現実を考えた時に、
もし、まだ関係を始めるのなら、私には相当な覚悟が必要になる。
状況に流された以前とは違う。
今度は自分の意志で一歩踏み込むのだ。
言い訳はできない。
すべてのことが自分の責任だ。

幸せになるって、自分が不幸にならない選択をする責任をまっとうすることなのかも知れない。
もし、不倫でも、「一生涯独身で、子供を生むチャンスを失っても、それでも、この男じゃなきゃだめだ!他の男じゃ無理だ!この男がいなかったら自分は不幸だ!」そう、信じることができるのなら、それなら突き進めばいい。
苦しみも悲しみもすべて同時に引き受けてでも、その男が欲しいなら、それでいい。
それが自分の幸せと信じるなら、それでいい。

私には、そこまでの覚悟はない。
傷つきたくない。
幸せになりたい。
安穏とした、安心が欲しい。
私を一番にしてくれない男と一緒にいると、自己評価がさらに下がる。
結婚だろうが、同棲でも、カップルでもなんでもいい。
他の女と私を両天秤されることに傷つく。

目の前にいる男が私に対して完璧に愛情表現して大切に扱ってくれても、
信じたいのに信じられない。
愛したいのに愛せない。
憎しみが募る。
私に苦しみを与える男が憎くて、憎くて仕方が無くなる。
だって、私の中の本能が私に囁く。
「この男を信じちゃだめだ。この男は私を傷つけている。自分を傷つける男に気を許しちゃいけない」
私の中の防衛本能が、強く私に警告し、私は混乱し、BPD状態がひどくなる。

それは私にとって幸せなことなの?
自分が幸せになれない選択はしちゃいけない。
他人が私を幸せにする責任があるんじゃない。
私自身だけが、自分を幸せにする責任があるんだ。
それが自己責任ということ。

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2010.05.07 Friday 16:48

愛情の形

4月の頭に友人の結婚式に行ってきた。
良い式だった。
参列してくれた人への感謝の気持ちと、また楽しんで帰ってもらいたいという思いが伝わる、本当に良い式だった。
友人夫婦の人柄がそのまま表れていたのだろう。
幸せそうな友人の姿を見て、私は心から嬉しかった。
羨ましいとも嫉ましいとも思わず、ただただ自分のことのように嬉しかった。
式の最中は思わず涙ぐんでしまった。

女性らしくおしとやかにするのが苦手で、
どちらかというと男勝りな彼女だったから、なかなか見合う男性には出会わないまま30歳を超えた。
一時は、「このまま一生仕事していくかも・・・」と覚悟さえ覗かせた。
そんな彼女が、ひょんなことから長年の友人へ恋心を抱き、
その気持ちをぶつけること怯え、悩んでいた時期を越し、
想いが実り、交際に発展した過程をすべて見てきた。

旦那さんに会うのは初めてだったけれど、
彼女にお似合いの良い人だと思った。
長年の友人だったせいもあり、彼女の飾らない人の良さと、表には表れないシャイな女性性などを全部理解して、
ひっくるめて彼女を大切に想っていることがよく伝わった。
また、彼にとっても、彼女は似合いの女性だろう。
二人を見ながら、本当に結ばれるべくして結ばれたカップルだなぁと思った。


まだ、彼女が片思いだった頃、
彼を誘ってよく遊びに出かけていた。
聞けば、彼は仕事が平日休みのため、友人たちと休暇が合わず、
いろんな所へ行ったことがないまま過ごしてきたそうだ。
それを聞いた彼女は車で遠出したり、色んな所へ彼を誘い出した。
「今まで遊びに出かけた経験あまりないらしいから、連れ出してあげたいんだ〜」と言っていた。
私と遊びに出かけた場所が気に入れば、彼を連れて再度訪れたりしていた。
「私はデートの下見役かよっ!」と笑いながら彼女に言ったこともあった。

式と披露宴の途中にそんな色々を思い出しながら、私は気づいた。
そうだ。
私も昔はそうだった。
「相手に何かしてあげたい」と思っていた。
いつからか、「与えられたい/欲しい」だけの私に代わってしまったけれど、
昔からそんな性格じゃなかった。

相手から愛情を与えられたら、その倍にして返したいと思っていた。
愛情のキャッチボールをしたいと思っていた。
愛し愛されの関係であることが幸せだった。
決して、一方的に愛されたいとは思っていなかったし、それを幸せだとも思っていなかった。

相手を大切にしたい。
大きな愛情を与えたい。
今日よりも、明日。明日よりも、明後日・・と、愛情が日々大きく育つことを喜びとしていた。

いつから、私は愛されることだけを望むようになったんだろう?
なぜ、与えられる愛情に感謝する心を失くしたのだろう?


哀しい。
愛というものを失くした自分が哀しい。
欲しい。欲しい。足りないと強請るばかりの自分が哀しい。
与える喜びをどこで失くしたのだろう?

いつか、取り戻すことはできるのだろうか。
取り戻したい。
切に願う。

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2010.02.10 Wednesday 14:14

虫唾が走ると言われた

会社の飲み会で、手相を見てもらったら、
「結婚は30代前半」と言われ、
「もう、とっくに過ぎてる〜w」と答えたら、
「じゃあ、前半頃に結婚話が持ち上がったり、結婚したいなって思ったりした人が運命の人」と言われた。
結婚話が持ち上がった人が、最終的に生理的にダメだった人、一人、
この人と結婚したいなと思ったけれど、私のBPDが炸裂してしまいクラッシュしてしまった縁1つ。
さて、どっちだ?
そんなことを考えながら、
「好きだったけど、玉砕しちゃった人ならいたー」と話したら、
「ワン モア トライ!」と力強く言われた。

って、話を昨日、元彼に治療してもらいながら話したら、
「虫唾が走る」と言われてしまった。

どういう意味なんだろう?

瞬間的に私が思ったのは、
私が元彼にワン モア トライ(復縁)しようとしていると思って、「虫唾が走る」と言ったのかな?と。

元彼との付き合いは30代中盤だったので、
彼のことはカウントしていなかったんだけど、
彼の中では30代前半に入っていたのだろうか?

なんにせよ、「虫唾が走る」くらい嫌われているということらしい。
私が治療院に来るのは、仕事上断れないだけのことで、
不遜な態度を取れば、他の患者さんにも伝わるから、私にも適度な態度を取っているだけということなんだろうね。

彼にしてみれば、私との復縁は虫唾が走るほど嫌ということか・・・。
まぁ、私のBPDが一番最悪期だった人なので、そう思う気持ちもなんとなく理解できなくもない・・・。
彼に言わせると、私との恋愛は「耐えがたきを耐え、未だかつて味わったことのない屈辱を味合わされた」とのこと。

自分がされたことはよく覚えていても、自分がしたことはよくわからない性質の私なので、
相手は余計に腹立たしいのだろう。
ひどいこと言ったにもかかわらず、本人は都合よく忘れちゃってるんだもんな。
「あれだけのことをしておいて、ふざけるな!」と思う気持ちも、なんとなく理解はできるが、
どうも、「痛み」の実感は伴わない。
頑張って、相手の心の痛みを感じようと、理解しようと努力はしているのだけど、
なぜか、感情が平坦になってしまって、感覚的に何も感じられない。実感が伴わない。
でも、申し訳ないという気持ちはあるので、
なんとか、頭脳的な理解だけでも伴おうとすると、どこか他人事な分析になってしまう。
それが余計に腹立たしいのかも知れない。


相手が「傷ついた」と表現しているのだから、私が相手を傷つける言動をしたのだろうと受け止めるけれど、
どれがどのように相手を傷つけたのかが、実感が伴わない。
感情が伴わないから、申し訳なく思う気持ちもどこか空々しく相手に伝わるのかも知れない。
それゆえ、更に相手は憤るのだろう。
で、結果、「虫唾が走る」・・・・か。


正直、さすがにグサっときた。
私だって、今さら元彼と復縁など考えてもいないが、
そんな風に言われれば当然傷つく。
でも、「相手がそう言いたいくらいのダメージを私は与えたんだなぁ・・・」と思ったりもする。
自分に自覚が伴わないとしたとしても、自分の言動なのだから自分の責任だとも思うし。
でも、ここ数日、精神状態が不安定だっただけに、ショックもそれなりに大きい。
思わず、極端な感情に流されそうになる。

「もう、元彼の治療院に行くのは止めよう」とか、
「そんなに憎んでいるなら、なんで態度に出さないのよ!」という怒りとか、
この世から消滅してしまいたくなる気持ちとか、
色んなものがぐちゃぐちゃに混じって、感情の暴動が起きそうになる。

でも、私の中の感情の色々を制御するのは自分の仕事であって、
彼にぶつけるつもりはない。

心は痛むが、自分で解決する。
次に会う時は、またそ知らぬ顔で昔からの患者になる。
それがベストかどうかはわからないけれど、
でも、今の私には、それが精一杯。


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2010.01.08 Friday 16:31

好きなら大事に

明日から、私は僧に会いにいく。
飛行機に乗っていくので、結構な距離だ。
私にしては、かなり大胆な行動である。
ある人の言葉が背中を押してくれ、会いに行く決心がついたのだ。


僧と私は1回しか会ったことがない。
それなりにメールを交換したり、ごくたま〜にスカイプで話すが、
実際に会ったのは出会った日のみ。

出会ったその日、僧に人間的な魅力を感じた。
もっと話したいと思った。
だから、連絡先を交換して帰ってきた。
だけど、相手の行動を観察して理解を深めていくタイプの私にとって、
この遠距離はなかなか手ごわい。
理解したいのに、メールで説明されても、どうもぴんとこない。
その上、自分の感情の正体もわからない。
僧に興味を持っているが、その興味の方向性(友情なのか、恋愛なのか)さえも、自分では判断つかない。
というか、1回だけしか会ったことない人に恋愛しろというのも無理な話だ。
相手の性格(人格)を知らずして、どうやって恋しろというのか。

時間はじりじりと過ぎていくが、
私の中での理解度は深まらない。
面倒になって放り出すには、気にかかる。

思い悩む私の背中をある人が押してくれた。
「会いに行けばいいじゃん」
「でも、いきなり行っても相手が引くかもしれないし・・・」
「自分がどうしたいかだよ?相手がどう思うかはこの際関係ないじゃない?
会って、もう一度自分の感覚を確かめて、また魅力を感じるようなら、恋愛の情が育つ方向性を目指せばいいし、
ん?違うなって思ったら、そのまま友人でもいいわけだし。
まだ何も始まっていない内から怯えることないよ。
何も失うものないじゃない?
会いに行って引く相手なら、それはそれでそれまでの縁だったってことだしさ」

そんな風に励まされ、実際、私自身も、会わなきゃ自分の感情を見極められないと思ったので、会いに行く決心をした。
清水の舞台から飛び降りたような行為だわ。

でも、その時の私は自分のことしか考えていなかった。
「自分で自分の感情がわからないから会って確かめたい」
この一心のみであり、僧サイドの都合も気持ちも状況も何一つ慮ってもいなかった。
ただ「我」があるだけだった。
そんな自身にさえ気がついていなかった。


先輩が貸してくれた仏法の解釈本に、こんなエピソードが書いてあった。
出家僧侶が托鉢で訪れた家の娘が、その僧に一目惚れしてしまい、
僧と結婚できなければ死ぬと母親に我侭を言ったという。
母親は、僧は尊いお釈迦様のお弟子さんとして出家したのだから、みだりにその道(修行)を邪魔してなるものではないと説得したが、娘は聞き入れず、
(なぜか)最後は母親が家に火をつけて全財産を燃やしてしまうという話が書いてあった。
落ちはともかくとして、私は胸に突き刺さるものを感じた。
我侭で無理解な娘の姿はそのまま私の姿だと思った。

僧は父親の跡を継ぐために勉強中の身だ。
そこらへんのサラリーマンとは違う世界に生きている身だ。
文化財としての寺社から、檀家さんから何から、背負っているものがある。
私の勝手な感情で相手を振り回すようなことがあってはいけない。

こんな簡単なことが、私はずっとわからなかった。
言葉では「思いやる」ということが言えても、
相手の立場に立った目線というものができなかった。
感覚として理解できなかった。

思いがけず訪れた理解に衝撃を受けた。

会いに行く私は気楽でいい。
自分のことだけ考えて行くのだから。
だけど、会いにこられた僧はどうなのだろう?
どう思うのだろう?
生身の男性であれば、遠方から女が会いにくるともなれば、それなりの想像もあるだろう。
その実、会いにくる女は「まだ恋愛ではない」と自分勝手を言う。
恋でないのなら、飛行機に乗ってまで会いにくる必要はないではないか。

ああ、私のこういう所が「人とずれている」部分なのだと思う。
興味が向けば、客観的視野を持たずして行動してしまう。
相手からどう思われるか?を異常に心配するくせに、
「相手はどう思うか?」をまったく考えない。
自分勝手だ。
私は本当に自分勝手だった。

なぜ、大切にしようと思わない?
思えない?
どんな形であれ、相手を好ましいと思うのなら、
なぜ、相手のことを思いやれない?

寺を継ぐ責任を全うしようと奮闘している僧を、私の興味本位で道を踏み外させることがあってはならない。
私はBPDなのだ。
軽度になりつつあるとはいえ、人を振り回す属性であることは変わらない。
修行中の僧にとって迷惑な存在になってはいけない。

僧を大切に思うのなら、
節度を持った距離感を維持して接しなきゃいけない。
どんな形に感情が育つにしろ、自分の気持ちだけを追って、
自分の気持ちだけをぶつけてはいけない。
僧には僧の時間があり、立場がある。

こんな簡単を、私は初めて知った。
雷を受けたような衝撃だった。
頭から冷水をかけられたように、のぼせた気持ちも冷めた。

今は、冷静に僧との関係を見つめ、紡いでいく気持ちでいる。


惹かれる気持ちに嘘はないし、
その気持ち事態は悪いものではない。
でも、自分の気持ちを受け入れてもらうことだけを目指せば、
私は僧にとって、「悪業」になる。
そうなってはならない。


「好きなら、(相手を)大事にしなきゃ」
そう心に刻んだ。
やっと理解できたこの気持ち。
離したくない。
まだ、相手の立場に立った目線は苦手だけど、
少しずつ、できるようになっていきたい。

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2010.01.03 Sunday 19:32

初詣

珍しく三が日中に初詣に出てきた。
人が多いのが嫌いなのと、
大概年始は休息に当てていることが多かったので、
いつも初詣はずいぶん後になってから行っていた。
でも、今年は元旦と二日と寝倒したので、
いい加減身体がが鈍って重かったので、
隣町の神明宮までてくてく歩いていった。
今年は年女+本厄でもあるので、ついでに厄払いもしてもらった。

神も仏も信仰していないので、厄払いなど本当は意味がないのだけど、
女33歳の大厄の時に相当手ひどい目にあったので、
厄払いするだけで気休めになるならしてもらおうと心を改めた。


厄払いを済ませて、お守りを選びながら、私の心に浮かんでくるのは前の人のことだった。
去年はお互いに別々の場所に初詣に行き、お守りを買い、交換したのだった。
申し合わせたわけではなく、お互いに自然と与え合った。

今年は別れている間柄なので、そういうこともしない。
彼からも、私からもお互いに距離を縮めようとも広げようともせず、
平行線のままを保とうとしている。

でも、最近になって、
付き合っていた1年余りの間に、彼がどれほど私に対して思いを尽くしてくれたか、
私に労力を割いてくれたか、
心を砕いてくれたか、
色々とわかるようになった。
わかるようになったら、哀しくて、哀しくて、涙が出てきた。
別れた当初は出なかったのに。

哀しいのは、別れたという事実ではなく、
私が彼を大事にしてあげられなかったから。
確かに不倫という間柄であり、それはやはり不快以外の何物でもなく、
信じる心をなんども切り刻まれたけれど、
でも、だからと言って、相手を人間として敬わなかった私の態度はひどかった。
自覚がなかった。
ただただ、自分が甘えたいだけで一杯で、相手に対する思いやりのかけらもなかった。
いつも「我」しかなかった。

どんなに悔いても、時間は巻き戻せないし、
この関係だってやり直せない(不倫なんか二度とごめんだし)
それでも、今なお、私を支えようと、影ながら助力をしてくれている彼を無視することもできない。
私にできるのは、素直に感謝して、早く一人立ち(?)できるようになることかも知れない。
もう、心配かけないように、一人でちゃんと生きていける姿を見せることかも知れない。
まだ、一人で立って歩いていくには危なっかしくて、不安定なので、
どうしても、誰かの助力が必要。
もう、別れた人の助力をあてにするするなんて、私もどんだけ神経ずぶといんだろう?と自己嫌悪も感じるけれど、
でも、仕方が無い。
今の私には、まだ無理なのだから。
でも、一生無理なままでいる気はない。
だから、頑張って前へ進むしかない。
与えてもらえる優しさに感謝して受け取りつつ、いずれ巣立っていく気持ちで今はいる。
どこまでいっても、彼は親代わりの存在なんだなぁ・・・と、また申し訳ない気持ちになる。
彼のほうは男女の情なのに、私は違う。
こんなダメな女で本当に申し訳ない。


彼のためにお守りを1つ買った。
身体安全のお守り。
車を運転する人だから、交通安全にするか迷ったけど、
今年も彼が健康に働いてすごせますようにと願って。
このお守りは彼にはあげない。
影守りとして私が持って、来年、また神社に返す。


自分用は、必要なお守りが多すぎて色々迷ったけれど、
勉学のお守りを買った。
病気平癒も、恋愛成就もそれなりになんとかなりそうだけど、
勉強は私にとっては新たなチャレンジで、
いわゆる新境地なので、不安が残る。
頑張る気持ちを神様にそっと背中を押してもらえたらありがたい。


明日からは新しい会社だ。
慣れるまではしばらく気疲れしそうだけど、
ぼちぼち頑張るしかないねー。

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2009.10.28 Wednesday 17:18

BPDタイマーの解除

最近の私はだんだんと現実主義になってきている。
といっても、BPD思考による妄想や湾曲がなくなったわけではない。
ただ、現実認識力がついてきたのだと思う。

それを顕著に感じるのが、僧との間のことだ。
こと、色恋事にはBPD反応が強くでる。
たとえば、いまや私の日常リズムにある程度組み込まれた僧とのメールのやりとり。
基本1日1往復で、それが乱れると不安になったりした。
「返事がこない!前回のメールで変なこと書いたのかも?それで嫌われたのかも?!」

1年前の私はそこから膨らむ妄想が止まらなかった。
「嫌われたんじゃなければ、他に好きな人ができたんだ!」とか。
自己評価が低い人間は、「自分が嫌われる、フラれる」という思考しかないらしい。

でも、なんだかんだと、僧とメールのやりとりをし始めて、1ヵ月半が経っている。
僧は「自分はタイピングが遅いので、返信が遅れても勘弁して欲しい」とも言っていた。
代わりと言うわけではないが、PCでの長いメールが滞る時は、小ネタ(?)を携帯のメールにいれてくれる。
私がBPDだとか、不安症だとか、何一つ教えてはいない。
でも、中2日以上メールが空く場合は、そんな風に気遣ってくれる。
最近の私はそんな現実をしっかり見つめられるようになった。
気遣ってくれる=私の存在を大切に思ってくれているという理解。


今だって、僧に好きな人ができてしまうかも?とか、
私がBPDのパニック起こして去られてしまうかも?とか、不安は尽きない。
でも、前と違って、自分から自滅しに行かないようになっただけ大きな進歩だと思う。
以前は、自分の中から勝手に湧いてくる不安を自分で処理しきれず、相手にそのまま投げつけていた。


僧の気持ちを聞いたことはないが、
客観的に見て、
興味もない人間相手に、そんなまめにメールもしないだろうし、
恋愛感情かどうかは別として、今のところ、それなりに好意があるのだろうと判断している。
それは私とて同じことだ。


東京と山陰なので、距離がある。
おいそれと会えない。
だから、お互い、腰をすえて、じっくりと相手のことを知ろうとしている。
お互いに理解を深め、その結果、相手に選ばれなかったら、そりゃ、残念だけど、
こればっかりは努力だけでなんとかなるものではない。
人には「好み」というものが存在するので、
どんだけ頑張ったって、所詮「好みじゃない」と選別されればそこから先の発展はない。
それに、たとえ選ばれたとしても、そこで終わりなわけじゃない。
その先も関係は続いていくものだし、むしろ、新しいスタートラインになるわけだ。

そう考えると、焦る気持ちも、変な妄想も治まってくる。
なにより、自分自身が、わざわざ病んだ思想に飛び込んでいかない(←これ大事)


「現実を直視する」という課題はクリアーできた。
次の私の課題は、BPDタイマーの解除だ。
なにせ、私は気になることに対しての時間間隔が短い。
現実時間ではたった24時間しか経っていないのに、感覚では3日くらい経った気持ちになってしまう。
相手と同じ時間軸で物事を感じられないから、
すごく待っている感じがするし、疲弊感も強い。
これが続くと、相手に対しての不満が募る。(相手は悪くないのに!)

これを見捨てられ不安と専門家は言うのだろうか?
どうだろう?
私は「見捨てられる」「見捨てられた」とは感じていない。
ただただ、「ずっと待っているのになんですぐ反応(返事)してくれないの?!」という不満が爆発するだけで、
その爆発に続いて、「なんで、すぐに反応がないのか?」の理由を考える。
その理由候補が妄想により、「嫌われた」「他に好きな人ができた」だの、現実からかけ離れた論理展開になる。
その結果、(自分勝手な妄想で)傷つき、
「その傷の原因はなんだ?!」と探し出し、
最後には、「すぐに反応しない相手が悪い(反応してくれたら自分は傷つかないのに)」という極端にねじくれた思考を生み出す。


今では、こんな風に冷静に視ることもできるようになったが、
1年前は本当に、上記のまんまの思考だった。

今でも、そんな思考の癖が抜けたわけではない。
ただ、上記のような異常思考の他に、
客観的に物事を眺める視野(現実視)ができるようになっただけだ。
「あ、これ妄想」「あ、これが現実」と見分けをつけているだけで、
なんら以前と思考が変化したところはない。


正直、症状は不安定だし、
自分に対する信頼感もそれほど取り戻せているわけではない。
また、「恋人」と呼べるような存在が現れたら、依存して、同一視が始まるかも知れない。
そして、また妄想に取り付かれて、気が狂ったように、般若の顔をして相手を攻撃するかも知れない。
実際のところ、どうなるかわからない。

相手も前回とは違う人間であり、
私の立ち位置だって、以前とは違うものになる。
だから、どんな反応が出るのかは、蓋をあけてみないとわからない。
唯一私にできることといえば、
いずれ来るXデーに向けて、現実を直視する訓練を続けて行って、
あと、狂った時間間隔のネジを調節して、他人と一緒の時間軸で生きられるようになることかな。


当分時間はあるし、
ゆっくりカウンセリング室で成熟していこう。

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2009.10.21 Wednesday 16:52

信じたいなら試さないこと

サボり癖がついちゃって、今朝も休もうか悩んだけれど、
いい加減働かないと、有給もなくなるし、給料減ったら食っていけないので出社。

留守だった二日間、火急の用事はなかったようだが、
それなりに仕事がたまっていた。
とりあえず、それなりの形になる頃には16:00になっていた。

お茶いれる。
紅茶が好き。
セイロンとかアッサムを牛乳いれて飲む。

背中の痛みは、そこそこ治まってきて、
ひねりを加えない限りは、たまに鈍痛がある程度になっている。

私の外傷のケアをしてくれるのは、この夏まで付き合っていた人だ。
大嫌いになって別れたのなら、二度と顔も見たくないとも思うだろうが、
嫌いとも好きとも違う感情で別れているので、
それ(恋愛)はそれ、これ(治療)はこれと割り切れているみたい。

別れた人の治療者としての腕は買っているので、
信頼できる主治医を失わないよう、別れ話をした時に、きちんと患者としてかかれる様に話をしておいた。

さすがに、最初の数回はお互いにギクシャクした感じだったけど、
今はだいぶこなれている。
付き合う前の「仲の良い医者と患者」の関係に戻っている。
むしろ、最初から、変に恋愛関係になんかならずに、この医者と患者の距離を保てばお互いに良かったのだろうか?

いや、彼が近づいたからこそ、私のBPD性が露呈し、自覚することとなったのだから、
やはり、結果としては必要なことだったのだろう。

今も、心の中に多少の痛みは、本当はある。
別れた当時から目をそむけ続けているけれど、必ずしも、別れてハッピーという感情ではない。

でも、どこにも出口がなかった。
私にはあれ以上のことは無理だった。
彼の立場の問題も私を苦しめたし、
最初から私が一方的に彼に甘えきる姿勢であったのも間違いだった。


BPDの症状の改善は、カウンセリングと頭の中で考えるだけじゃ大きく効果はでないような気がする。
実践を通して、間違ったりしながら、それを客観的に見つめなおし、次の行動は修正していく。
そうやって、1つ1つ積み重ねていく。

幸いなことに、私のBPDの発症は、ある程度の基礎人格が形成された後なので、
「昔(発症前)の自分に立ち戻ること」という、1つの回復への道がある。
発症以前の自分自身のイメージ像が希薄になっているけれど、昔からの友人達と会ったり話したりすることで、
どうにかこうにか、バラバラになった自己像を、再度繋ぎ合わせている。

発症後に身についてしまった問題行動、問題思考の矯正は、
実際にやってしまった失敗行動や、思考などを内観したり、カウンセリングで話したりしながら、
客観性を持たせて、正しい(と思われる)行動や思考の選択肢へ当てはめていく。

地道にコツコツやっていくしかないと、
腰をすえて取り組んでいる。

でも、きっと、10年後の私は笑っている。

今だって、去年の自分より、ずっとずっと落ち着いている。
新しく知り合った僧とのやり取りも、落ち着いた距離感で焦らず続いている。
昔だったら、獲物に食いつくピラニアのような勢いで距離を縮めていただろう。

最近気づいたけれど、どうやら、一気に距離をつめる行為は私にとっての試し行為の1つらしい。
私は男性を信用していない。
結局、男はSEXできればそれでいいのだろうと思っている。
だから、興味を引かれる相手に恋愛を仕掛け、相手がそれにホイホイと乗ってくると、軽蔑してしまう。
わざとやっているわけじゃない。
だけれど、完全に無意識というわけでもない。
「簡単に釣れる魚=やりたいだけの男」という図式が根底にあるから、
相手が私に振り向いても、嬉しいどころか、期待を裏切られて悲しくなってしまう。
だって、求めているのは、私が挑発しても、動じず、心と心の交流を求めてくれる男性。

でも、やっと、私は気づいた。
私が挑発して、身体の関係に相手をおびき寄せている。
挑発していないのに、身体を求める男は責めてもいいが、
挑発しておいて、それに乗った男だけを責めるのは間違っている。
挑発された男側からすれば、
「この人はそういうタイプの女性か。じゃあ、こちらもそれなりの対応で」
ということになる。

理想は挑発しても、それに乗らない男がいいけれど、
挑発しておいて、「ほらね!」と鬼の首を取ったように相手を責めるのも優しさが無い。

信じたいなら、試さないこと。
在るがままを見て、在るがままを信じること。


僧と出会い、
誠実な人柄に触れるにつけ、
私の中で、男性への歪んだ認識が少しずつ改まってきた。

私は、僧を信じる努力をしている。
在るがままでいてくれる僧を、そのまま見つめる努力をしている。
歪んだ妄想や、想像をせず、
僧が私に見せてくれる側面を、そのまま受け止める。
相手も同様に私のままを見つめている。

男女関係と聞くと、未だに意識がこわばり、身構えてしまうが、
人間関係の延長線上に男女関係という一つの形があると考えれば、
まずは、色欲ではなく、敬意と礼節を守った距離感から始めるのが自然と思える。

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2009.10.14 Wednesday 11:24

何故、信じられるのだろう?

前の人は、何度言われても、説明されても、どれだけ態度で示されても、
どうしても信じきれなかった。
信じて欲しいと懇願された瞬間だけは信じられても、
いつも、いつも、心の奥底には疑いが渦巻いていた。
むしろ、私は最初から彼を信じようともしていなかったのかも知れない。
他に女がいる男なのだから、信じる価値がないと見下していたのかも知れない。
真実は定かじゃないが。


僧は、するりと私の心の中に入ってきて、
あっさりと私の信頼を勝ち取った。

「僕は単純だから、言っていることがすべてですよ」
そう言われて、
「そうか」
と、素直に信じられるのは何故だろう?
心の中に広がる安心感。
「この人は嘘はつかない。私をごまかさない」
そう、直感が私に伝える。


1年以上も見知っていた前の人のことは、最後の最後まで信じられなかった。
でも、たった一度会ったきりの僧のことは信じられる。

私の心の立ち位置の問題なのだろうか?
それとも、僧と私の関係性は、まださほど近くないから幾分かの理性が残っているからなのだろうか?



「自分はこういう人間です」
と言葉で表現する人を、私は信用したことがなかった。

言葉でならなんとでも言えるという思いと、
自分自身が「こういう人間」と思い込んでいるだけで、
他者から見たら全然違うことを本人が気づいていないだけかも知れないという邪推。


なぜ、僧のことを疑わないのだろう?
なぜ、僧のこを信じる努力をするのだろう?


僧と、今のままの距離感でいられたらいいのかも知れない。
様々なことに怯える私の心を穏やかにしてくれる。
これ以上近づくと、いつ私のBPDが爆発するかわからない。

程よい距離で、良い影響を受けているだけが良いかも知れない。


僧を理想化しすぎないように気をつけて。
相手はおとぎ話に出てくる王子様じゃありません。
ただの人間です。
それを忘れないように。
僧が魅力的な人間なのは認めるけれど、
僧に惹かれる自分に溺れることにならないように。
現実を見失わないように。
思い込みで突っ走らないように。

それだけ気をつけても、なお、僧のことを信じられるのなら、信じればいい。

世の中に、信用できる人間がいるのなら、いた方が良い。

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