2016.04.20 Wednesday

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2011.07.14 Thursday 23:14

森には帰れないから走る。

今日は2週ぶりの心療内科。
会社はなんと、2週ぶりに定時に脱出(←周りから拍手が起きた(;´Д`)

いつもはカウンセリングが先で診察が後なんだけど、今日は診察が先だった。
ここのところの抑うつ感の相談をした。

何もやる気が起きない。
疲れた。
だるい。頑張りたくない。
休みたい。
ゆっくりしたい。

私の話を聞いたドクターは、「あなた疲弊してるのよ。大丈夫うつ病じゃないわよ」と言った。
「うつ病じゃないのはわかるんですが、疲労からくる抑うつ状態なんですよねぇ・・」と相談した。
ドクターも「そうね。さて、どうしましょ。今の生活、もう少しセーブできる?仕事減らしてもらえる?」
私「・・・う゛ぅ〜ん・・・・仕事、減らしたいですねぇ・・・、でも、週末に講座とか行ってるから、実際に時間が足りないのは本当なんですよねぇ・・・」と答えながら、でも、本当に仕事の量を減らしてもらうよう、自分から積極的に動かないと本質的な解決に至らないだろうなぁ・・・と考えていた。
「薬はどうしようか?」とドクターが訊いてくれたので、最近のワイパックスの摂取の仕方を話した。
一時期みたいに習慣的に口に放り込んでいないが、相変わらず定期的に飲んでいること。
だいたい、夜寝る前が多く、セロクエルとデパケンRで眠気が起きない時などにワイパックスを3錠程度投与すると眠気が起きてくれること。
そこで眠気がきてくれる、アモバンを飲まないで済むこと。
そんな話の中で、「セロクエルはもっと投与量を増やせるけどどうする?」とドクターに訊かれた。
うぅ〜ん・・と悩んで、「問題は脳の緊張が解けないことだから、量を増やしておしり(薬効時間)が長くなっても・・・」と言った私の言葉を受けて「意味ないわね」とドクターが言った。

結局、今回も処方は変化なし。
アモバンだけ余らしているので、調整で抜いたけど、その他は変化なし。


診察の後はカウンセリング。
肉体的にも精神的にも疲れていることを話した。
今週末は連休だけど全然テンションがあがらない。
疲れているから出かける気がおこらないけれど、家にいるも暑くて嫌だし。
お金もないから遠出もできない。
っていうか、今温泉行けたとしても、疲弊してるからお湯つかる元気ないかも。
それより、中軽井沢あたりの静かな森の中でまったり横になりたい。って言ったとこで心理士さんに笑われた。
「森に帰りたくなっちゃったわけだね?w」と。
この「森」は私の心理士さんには、ある意味キーワードっぽい。
私がカウンセリングを受け始めた頃・・・3年くらい前かな?
とにかく、状態が悪くて、聴覚過敏もひどいし、人間不信、男性恐怖症だの、BPDだの、うつだのなんだのが沢山まざっていて、
その当時の私が言っていたのが、
「明治神宮くらいのサイズの手付かずの森の真ん中でひっそりと独りで静かに暮らしたい」
だったんだ。
私にとって、森の音は癒しであり、都心のアートフィシャルな音は攻撃だった。
森の中で、静かに、自然の音の中で、自分もひっそりと息づいていたかった。
森というか、緑はきっと、私のホームなのかも知れない。

そんな経緯があり、私が「森の中でまったりしたい」という、いつものキーワードを聞いた心理士さんが笑うと・・。
心が疲れたときに、実家に帰りたいとか、地元帰りたいとか、思う人はいるだろうけど、
私は「森に帰りたい」なのだw


その他色々、仕事のこと、勉強のこと、ここのところの抑うつのこと、不安や焦燥や、それと、最近の気づきなんかを話して帰ってきた。


家についたらまだ21:00だったので、ざくっとジョギングに行った。
意外と風が冷たくて気持ちいい夜だった。
森には帰れなかったけど、ジョギングで少し元気でたかもなぁ〜・・・。

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2011.02.01 Tuesday 14:12

普通の人の感じ方

先週心療内科の診察に行った時に咳喘息の話をしたら、
ドクターから「こんな病気になっちゃって自分はなんてダメな人間なんだ?!とか思ってない?大丈夫?」と訊かれた。

きょとんとして「いえ、全然。なんでですか?」と聞き返してしまった。
言葉にこそ出さなかったけれど、「え?なんで?病気は仕方ないじゃん?そんなの自分の人間性云々とまったく関係ないし。ドクター、突然何言ってるんだろう?」と一瞬思ってしまった。
そして、次の瞬間にドクターの質問の真意がわかり、にやりと笑いながらこう答えた。
「ほんと、ストレスがない(無職)ってすごいですよねぇ〜」
ドクターは「今のあなたなら仕事していても大丈夫よ。(自分を責めてないなら)100点満点よ」と太鼓判を押してくれた。

きっと、以前の私だったら、「無職だからって油断して健康管理がきちんとできていなかったから病気になんかなるんだ!そうだ、仕事していた時だったら帰宅後は必ずうがい手洗いしていたのに、無職になってからはサボっていたし!勤めに出なくていいと思っているから気合が入っていなくて風邪がどんどんひどくなったんだ!」とか、きっとこういう系統の自罰的な考えがエンドレスで頭の中を回っていたと思う。
そして、その考え方が正しいと思っていた。
他の人もみんなそんな風にきちっと生活していて、自分はそこで手を抜いたから病気になったんだ。とか心底信じていたと思う。

突然にドクターに「自分はダメな人間なんだとか思っていない?」と訊かれて、
「え?なんで?病気は仕方ないことだし、自分がダメとかなんとかとは全然無関係だし」と自然に思えた私の思考は今、とても健康で健全だ。
これがいわゆる「普通の人」の感じ方なんだなと、実感をもって理解できた。


診察前のカウンセリングでも、自己肯定的な発言が私の口から出るのを聞いて、心理士さんが治療効果がしっかり現れていると言っていた。
あまり断定的なことを言わない心理士さんなので珍しい発言だなと感じたんだった。

たとえば、今回の失業期間のこと。
11月から失業中なので、早3ヶ月も失業している。
もちろんお金の不安も、仕事が決まらない不安も、いろんな焦りもあるんだけど、
でも、「結果的にこの休みがあってよかった」と私は感じている。

まだ精神状態が非常に悪い状態だったにもかかわらず、「働かなければ世の中から取り残される。おいてかれる。底辺に落ちたらもう這い上がれない」という焦りと恐怖の元に無理を押して働き出した。
そこから精神状態の激動期の中もしっかり働き続けた。
この休暇はそんな私へのご褒美的なものがあると思う。
雇用が続いていたらこんな長期間の休みなんか絶対とれないわけだし。

それに、仕事のことや、将来のこと、自分が本当にやりたいこと、色々なことをしっかり考える時間もできた。
今の自分の立ち位置をしっかり確認できたし、自分が進みたい方向性も見えたし、その方向に進むために自分にはどんな努力が必要なのかも見えたし、逆に自分の強みだってわかった。
卑下するだけではなく、ちゃんと持っているものを肯定できるようになった。
3ヶ月間収入がなかったのは非常に厳しかったし、仕事のブランクも怖かったけど、
結果として、前よりも良い方向に向かうことができる自信がある。

心理士さんと話したのは、私の見え方の変化について。
物事にはマイナス面とプラス面と両方がある。
以前の私だったら、マイナス面だけしか見ることができず、恐れ慄き、怯え、焦りが募ってパニックを起こしたと思う。
最近の私はマイナス面を認識しながらも、プラス面を見ることもできるようになったこと。
そして、結果としてプラス面が多ければ(たとえマイナス面があったとしても)「プラスに転んだじゃん。ラッキー♪」と思えるようになったこと。
これは大きな変化だし、自分自身もhappy personでいられてとても楽だということ。

もちろん、私の性格は変わってないから、プラスとマイナスがあったら最初にマイナスに目が行く。ここは変わらないw
でも、プラスの要素にも目を向ける余裕が出てきて、そして、プラスとマイナスを正しく量れるようになった。
前はたとえプラス面の方が多くても、マイナス面が少しでもあるだけでダメ!だったもんなぁ・・・w

今の病院で治療を始めて3年目。
やっとここまで戻ってこれたか・・・って感じ。
そう、私は確かに変化したんだけど、徐々に自分自身に戻ってきているとも感じている。

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2010.07.12 Monday 16:54

あいも変わらずBPDですが

たとえば、業務が忙しくなり上司と密にコミュニケーションがとれなくなってくると不安を覚えるという話。
毎日行っていたスケジュール確認をしないことにより焦りが生まれたりする。
別にスケジュール確認がきっちりできなくても、上司はそれなりにmanageしていくし、
むしろ、忙殺されている時にスケジュールのすり合わせとか瑣末なことに時間を取られる方が嫌だろう。
なのに、何故か理由をつけては上司にかまいたくなる(←表現が不適切だが・・・)
感覚的には、「私を見て!」とか「私にかまって!」という感覚に近いものを持って上司に接するようになる。

上司とコンタクトを取る回数が減ることにより、関係性が希薄になるような錯覚に陥るという話を心理士さんにした。
今まで固定化した「秘書と上司の会話」が行われないで日々が過ぎていくと、
お互いの感情とか、信頼関係とか、親密さとか、そういうものすべてが時間の経過と共に遠く離れていくような感じがする。
心理士さんは黙ってメモをとっていたが、
私が「ほんと、BPD的な思考ですよね」と言うと、「うんうん」と笑いながら頷いていた。


「そんな時はどんな対応をしていますか?」という問いに、
「んー。とりあえず、冷静に客観的に、そして合理的に考えたことを自分に言い聞かせますw」と答えた。

実際、上司が忙しいからって、私までアワアワして浮き足立ったら、逆に業務上支障がでるし、
そんな時ほど冷静な秘書の方が頼りがいがあるだろうし、
上司との連絡ミスによりスケジューリングが上手くいかなくても、それは仕方ないし(私の知らない所で予定をいれてきた上司の責任だし)、
そもそも、上司の仕事をサポートする立場なのに、「私にかまって!」って発想おかしいし。

以前の私と違う部分は、こういった「一歩引いた見方」ができるようになった所だろうなぁ・・・って。
瞬間的な思考はBPD的なんだけど、それに対して「それちょっとおかしくない?」という歯止めが自分でできるようになったことは大きい。

以前はBPD的思考にしがみつき、まるでその思考を捨てることは自分自身を捨てることのような恐怖感なり、切迫感なりを感じていたけれど、
今は、生理的にBPD的思考をする自分を理解しつつ、「でも、それは一般的じゃないよね」と自分自身を諭して誘導している。
時々、誘導するのに苦労をする時もあるが(自分の心の中の葛藤として)、
でも、だいたいは冷静に判断した選択肢を選んだ方が状況が好転することが理解できてきたので、思考の転換行為に対する抵抗勢力(BPD思考に固執する自我)が弱まってきたと思う。
こういうものが「成功体験」って言われるんだろうなぁ・・・ってぼんやりわかる。


「自分の中で、以前出来なかったことが出来るようになって、褒めてあげたい気持ちは生まれますか?」と心理士さんに訊かれ、
「うーん・・・。まだ褒める所まで至ってないないなぁ・・・。でも、物事が好転した時は"ほらね?いう通りにしたほうが楽だったでしょ?"って感情が生まれています」って答えた。
まだまだ完璧を要求してしまう部分は拭いきれていないなぁ・・・。


BPDな自分と、合理的な判断をする自分がいて、
最近はBPDな自分に対して、合理的な判断をする自分が良い影響を与えていると思える。
実際、BPD的思考に凝り固まると、自分自身も感情の波が激しくて、とても疲弊するし大変。
物事も悪い方に転がりやすい(ネガティブ連鎖反応って感じで)
でも、初動をしっかり定めて、感情(情動)がぶれないようにどっしり構えるように努力すると、そんなに怖いことは起こらなかったりする(もちろん、まだまだおっかなびっくりだけど・・・)


体調不良とは相反して精神状態は良好気味なのも不思議なところ。
体調不良の原因が心因性なのでは?と考えて、心療内科のドクターと相談してみたけれど、
どうも当てはまる感じがしない。
むしろ、情緒的な抑うつ反応は弱まりつつある。
ただただ、異常なまでの易疲労感と倦怠感と、突発的に起こる脈拍低下と呼吸困難、それと突発的に起こる筋痛。
これらの身体症状で身動きがとれないために炊事掃除洗濯なのができないという感じで、抑うつだからといいう感覚は薄れてきた。

「とりあえず、心因性だった場合に備えて、自宅でもリラクゼーション法を行うようにしてみて」
とドクターからの指示。
実は「はい」と返事しておいたけど、自宅でやる気は一切なかったり・・・
やった方が良いことは重々承知しているのだけど、
私のバランスは、「自宅にストレスを持ち込まない / 自宅ではやりたくないことはやらない」を徹底することによって取れているので、その均衡を壊したくない。

医者が「良いこと」として勧めたことでも、本人が苦痛に感じることならやらない方がいい。
逆にストレスがかかる。
「まぁ、気が向いたらやってみるわ」程度の受け止めておくのが良い。


以上、最近の私のBPD状況報告でしたw

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2010.05.27 Thursday 21:30

理不尽さとリンクする怒り

少しずつ抑うつが治まってきたかと思ったら、それと入れ替わるように攻撃性が高まってきた。

「またBPD反応か…」とうんざりしていたのだけど、今日のカウンセリングで実は違うということに気づいた。

この1週間の間に2度の怒りパニックがあり(どっちも力技で抑え込んだけど)、
そのどちらにも共通していたのは、「本来、私は悪くないのに不愉快な目に遭った」ということ。


道を歩いていたら、突如幅寄せしてきた運転手に文句言われたとか、
会社で本来の業務外のことを、上司以外の人にを頼まれやっていたら、見ず知らずの平社員に嫌み言われたとか。

本来、私が負うべき責でないことで非難を受けるのはどうにも我慢ならないらしい。
自分でも「そんなに怒髪天を突くな勢いで怒るほどのことか?」と思うのに、止められない怒りの爆発。

抑うつが治まってきたから、ジェイゾロフトが効き過ぎでイライラしているのかな?と思っていたけれど、
今日、心理士さんと話してたら、ふと気づいた。
私の怒りが爆発するのは理不尽な目にあった時。
それ以外は笑いのネタにしているくらいタフでいられる。

自分が悪くないことで責められるのはとても理不尽なものを感じる。
その理不尽さは過去の痛みの記憶とリンクする。
私の中のトラウマが過敏に反応するから自己防衛本能が作動し、
「戦わねば!」と、私の中のジャンヌ・ダルクが立ち上がってしまう。
そんな仕組みから、過剰防衛状態になってしまうらしい。
そんな反応の奥底には痛々しい心理が隠れている。

『もう、二度と、何人にも、私に対して理不尽な傷はつけさせない!!』

それは確固たる誓いにも似た、強いdetermination.
必死に自分を守ろうとするために、牙を剥き威嚇する。


そうかそうか。
「私」は無意味に怒っていたんじゃなかったんだね。
自分を守ろうとしてたんだね。

一歩離れたとこから、客観的に眺めてみる。

うん。いじらしいじゃないの。
気持ちもわかる。
深層に組み込まれた痛みと恐怖の記憶が呼び覚まされるんだもんね。
心の奥の奥に焼きついた記憶に無意識に反応しているんだよね。

でもさ、今はそんなにひどい人もいないし、私ももう何もできない子供じゃない。
過剰反応が出てしまうのは仕方がないけど、
あまりに強い怒り反応が表面化したり、長く続いたりすると、逆に自分の立場が悪くなるからほどほどにね。

今の自分の生活が脅かされるようなら、それは本末転倒だからね。

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2010.03.19 Friday 11:56

地図

昨日のカウンセリングで、現状の自分を現実的に認識できないことに障害を感じるという話を心理士さんにした。

思春期の頃、誰もが自分自身のあれこれを嫌ったり、否定したりする。
そして、「こんな自分になりたい」という理想像を持ち、近づけるように頑張ったりする。
たとえば、「明るく話術がたくみなXXさんみたくなりたい」と、その友人のキャラをコピーしたりして・・・。
そういった様々な取り組みを経て、安定した自我を形成して、自己確立を果たしていくんだろう。
だから、私が今、「こんな自分が嫌」と思う感情は、とても自然な成長の過程と受け止めていて、深刻な状態としては捕らえていないという話。

ただ、問題に感じるのは、「こんな自分」の「こんな」の中身が不明瞭すぎること。
「こんな」と表現して、感じているのに、「具体的にはどんな?」が曖昧模糊として、輪郭がぼやけてしまう。
「今の自分はどんな自分なのだ?」と必死に目を凝らしても眺めても、ぼんやりとしたものしか見えず、実態が把握できない。
「自分で自分のことがわからない」というのはこういう部分を指すような気がする。

「こんな風な人間になりたい」というイメージ像はなんとなく固まりつつあるのに、
今の自分を認識できないから、どこからスタートしていいかわからない。
ゴールは設定できているのに、スタート位置がわからない。
そんな話をした私に心理士さんが上手い喩えをした。

『言うなれば地図ですね。
広げた地図上で、目的地は発見できたけれど、今自分がどこにいるかわからない迷子状態なので、
地図上で見えている目的地へのルートを決められない』

そう。
まさに、そう!
ココに行きたい!ってわかっていても、ソコに辿り着くためにのルートを決めるには、
今の自分の位置を知らなければできない。
闇雲に出発しても、さらに迷子になるのだ。

現状を認識する能力の欠如を強く感じると話した。
まるで、初期の認知症患者のようだ。
意識がしっかりしている覚醒時はそれなりに自分のことも客観的に見れるし、周りの状況や、現実世界をしっかり捉えて見つめられる。
でも、その時間はあまりにも短くて、
ほどなくして、夢の世界に引きずられるかのように、現実がぼやけて散漫になってしまう。
そうなると、すべてが夢っぽく、現実感が薄く、実感や感覚が伴わず、妄想が先行してしまう。
すべてに霧がかかったように、もやもやとして、輪郭が伴わなくなってしまうため、
頑張って見つめても、見つめても、しっかりと認識できなくなってしまう。
だから、私の中での認知がアンバランスになり、
実感が伴うものと、まったく理解できないものとのギャップが生まれる。
どうやったら、覚醒したままでいられるのか?
私の回復へのキーはこの部分に隠されている気がする。

私の心の準備がまだできていないから、現実を直視するのを無意識下で避けてしまうのか?
それとも、これがいわゆるBPDの症状なのか?
それはわからないから、もう少し時間をかけて様子を見ていくしかないけどねー。
と、笑いながら話した。
変化していく自分を一歩引いて見つめること、見守ること、
そんなことができるようになったのは最近のこと。

落として割ったガラス板のように粉々に砕け散った自分を再生するには、かけらを集めて、溶かし、再形成するのが良いだろうというイメージ。(以前はガラスの粉々をジグソーパズルのように合わせようとしていた)

抑うつ状態ではあるものに、情動の不安定さはだいぶ落ち着き、
状態の悪い自分の時期もなんとなく受け止め、受け流して生活している。
『タフになりましたね』と心理士さんが言う。
確かに、タフといえばタフ。
しなやかさが増してきて、ポキっと折れることが少なくなった。
こんこんと眠り続けて1ヵ月半。
ペリっと薄皮が剥がれて、新たな自分がお目見えしたようだ。

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2010.02.01 Monday 15:34

静かに自立するという選択肢

土曜日は診察とカウンセリングだった。

診察時にドクターへ情緒不安定気味なことを報告。
理由として、新しい職場での緊張からくる疲れと、
母親からの送金の事実を知り、精神的ショックを受けたことを話した。
送金の事実を知って嬉しかったと同時に怯えたと話した。
お金は嬉しいが、そのお金を受け取ることにより発生する「関係性」に怯えを感じる。
「黙って使うのは卑怯な気がする」と言った私に、
「そんなの向こうが黙って送ってくるんだから、黙って使ったって問題ないわよ〜。本当にあなたは真面目でいじらしいわね」とドクターが言う。
「私が連絡先を教えてないので、黙って送るしか選択肢はないだけなので・・・」と返事した。
確かに、真正直すぎるとは思うけどね。
黙って好きに使っても問題ないと思うんだけど、
やっぱり、他人のお金だし、それを無断で使うのは礼儀に反すると感じてしまう。

「怯える」ということにたいして、
「なぜ怯えるの?」と問われ、
「お金を送ってくれる優しさが母に残っていたからといって、その人の性格が変わるわけでもなく、
またお酒を飲んで罵倒されたり、奴隷のような扱いを受けたり、母だけじゃなく、家族全員が私に対して優しくないわけで、
それに対して、多勢に無勢で、私に対抗できるだけの強さがあると思えない。
また過去の繰り返しになるのが怖い」
そんな話をした。
「確かに相手は変わってないかも知れないけれど、"NO"と言えるでしょう?あなたはもう無力な子供じゃないのよ?」
ドクターがそう言ってくれたけれど、その時の私は頭の中が凝り固まっていて、
音が耳に届いている程度の認識でしかなく、ドクターの言葉をしっかり受け止めていなかった。
「でも、"NO"といっても、彼らは聞き入れてくれない。自分たちの欲求を通すことしか考えないと思う。私が我慢することは、すべてにおいての前提になっているから・・・」
そう呟く私に、
「電話でもなんでも、ぐちゃぐちゃ言ってきたら"はいはい"って言って、さっさと切っちゃえばいいのよ。向こうが何か要求してきても応じなきゃいいの。自分の態度を明確にさえすればいいのよ」
そうドクターが応え、
「自立はね、戦わなくてもできるの。静かに自立することはいくらでもできるのよ」
と、言ってくれた。
すぐにはその意味がわからなかった。
今もそのすべてがわかっているわけじゃないけれど、
なんとなく、アウトラインがぼんやりとわかったような気がする。
ドクターが言ってくれたように、私はもう無力な子供じゃない。
たとえ、実家の人たちが理不尽であっても、私はそれを拒絶することができる。
黙って我慢しなくて良いのだ。
不愉快なことを言われれば、戦わずともその場を去れば良いし、
不愉快だから去るということを表現しても良い。
そして言うのだ。
"I don't deserve to be treated like that."
そのような扱いは受け入れがたいのでごめんこうむると言えばいいのだ。
それでも相手が聞き入れなければ、黙って、また距離を開ければ良い。
相手が理解しようが、しまいが、どうでも良いのだ。
「私がどうしたいのか?」である。
理不尽である先方に屈するのか、それとも、理不尽な扱いは受け入れがたいと表明するのか。
相手が理解したならば、態度を改めるだろうし、改めなければ別にそれでいい。
今までどおり、黙って切り捨てるだけ。
自分の立ち位置をしっかり見定めて、距離を空けること。
それが「静かなる自立」ではないかと思う・・・。

診察に続いてカウンセリングがあり、心理士さんにも送金の話をした。
母親に連絡を取りたくない理由は、
私の感情がすでに「許す許さない」ではないレベルに来ているからという話をした。
未だアルコール依存症の治療をせずに酒びたりなのか、どうかわからないが、
一片の良心があったからといって、残りのすべてが許容できるという話ではない。
かつ、今の私は勉強すること、自分の人生をやり直している最中であること、
それだけで精一杯で、とてもとても、実家のほうのいざこざなどに関わっている余裕がないということ。
昔は、物事が起こったら「対応しなきゃ!」と生真面目に即反応していたが、
今は優先順位をつけて、後回しにできるもの(したいもの)は後回しにするようになってきた。
現在の私の中での優先順位は、「己の人生の充実化」だと思う。

母が酒びたりで大荒れで、実家の家事をやらされ、お小遣いをもらえなかったからアルバイトで稼ぎ、
とても勉強なんかできる精神的余裕がなかった。
何かに集中して打ち込むという精神状態を作り出すことができなかった。
そんな思春期の頃だった。
今、「勉強したい」と思う私は、その頃得られなかった時間を取り戻そうとしているのかも知れない。
私の中のインナーチャイルドは思春期ごろに育ってきているのかも?
「智の喜び」を知り始めている。

いつの間にか、私は私の中の子供を守る立場になった。
今回も、母親からの送金の事実に衝撃を受けたけれど、
それは大外の私だけで、心の中のインナーチャイルドまでは届いていない。
中の子は安穏と楽しそうにしているイメージだ。
私は自分で自分に「安心」を与えることに成功し始めているのかも知れない。

相変わらず、外身の私は感度が高く、衝撃を受けやすいが、
でも、その衝撃に対する態度が変わってきた。
衝撃を受けてパニックは起こすが、すぐに収まり、その衝撃の元をさっさと取り除いたり、横に退けたりできるようになった。
まだ、心が痛いのは、余韻程度のことで、
以前ほど衝撃が延々と続くことはなくなった。
ショックからの立ち直りが早くなったんだと思う。
以前はショックを見つめ続け、何度も何度も繰り返し傷つき、延々と悲しみ続けていた。
他者からは自己憐憫に浸っているように見えただろう。
しかし、本人は憐憫に浸りたかったわけではなく、
視線のそらし方がわからなかった。
やり方がわからないからできなかった。
最近は少しずつだけどできるようになってきた。
どうしてできるようになったのかはわからない。
傷つくことに怯えすぎないようになったせいなのか?
あれだけ痛かった傷口(トラウマの記憶)がふさがってきたせいなのか?
理由はわからないけれど、少しずつ、前へ進めるようになった。


実家の人々と関わるのは、
どんな形であれ、私には痛みなり、恐怖なりが伴うものであり、
それに耐えうるだけの余力が今の私にはない。
支えてくれる人もいない。
ならば、今じゃないんだと思う。
まだ少し先のことでいいと、私の本能が言っている気がする。

人の都合や、人のペースに合わせようとするから辛くなる。
「私はまだreadyじゃない」
これがすべてだ。

我を張るのではなく、
自分の足元を固めること。
「自分はどうしたいのか?」
己の主体性を見失わないことが、最終的に自分も他者にとっても良い関係を生み出すことになるんだと思う。

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2010.01.19 Tuesday 14:27

男性像のゆがみ

最近自分でもうすうす気づいていて、前回のカウンセリングで心理士さんへ白状したこと1つ。
私は男性に対する認識がくるっている感じがするということ。

たとえば、男性が私に優しくするのには、すべて下心があると感じる。
SEXするチャンスを得るための序章にすぎないと感じる。

私の頭の中での「男性」というものへの認識は、
「男性が優しくする→私が心を開く→恋愛に仕立て上げる→SEXする→去る」といった具合だ。

冗談かと思うかも知れないが、私の根底では本気でこんな風に男性像が出来上がっている。
それゆえ、男性と接する時にひどく身構える。
深層心理で「この人は私の何を求めているのだろう?気を許すと、また面倒なことになるのかな」と無意識に考える。

どうも、心の底で、本気で「男性は自分の性欲を満たすことだけを求めている」と考えているっぽい、私は。
「どんな紳士も、結局やること一緒」って感じで。

なにを、思春期の少女のような、寝ぼけたことを・・・と自分でも思うんだけど、
どうも、深層心理の正直なところは、こんな感じみたい。

それだけではなく、私の中には「私は男性の欲望に応えなければならない」という切迫感がある。

たとえば、ある男性と数回デートして、男性が私にキスを迫ったとする。
私はただ、会って楽しく話し、時間を共有し、心のコミュニケーションが取れれば満足だけれども、
男性は別のものを求めているとわかると、ひどく失望し、また、それに応えないと相手が去ってしまうと怯える。
だから、キスしたいほどその男性を好きではなくとも、
「相手がしたがっているから」とか、
「もう、子供じゃないんだからキスくらいでガタガタ言ってもね・・・」とか、
「こういう状況に陥った責任の一端は自分にもあるのだから、キスくらい我慢しなきゃ」と、自分に言い訳をし、相手のなすがままになってしまう。

「NO」と言えないわけでもないんだけど、
でも、「NO」といって関係がギクシャクしたりするのが面倒くさかったり、
もしくは、楽しく過ごせている今という時間を失うのが嫌で、
「自分さえ我慢すれば丸く収まる」と考えてしまう。

若い頃からそんなことを繰り返している内に、
ついには私は真実の男性の姿を見失ってしまったのかも知れない。
男性は男性である前に、私と同じ「人間」であるはずなのに、
男性はどこまでいっても男性という生き物でしかなく、
人間という種類に見えない・・・。

「男の人は恋愛(性)をしかければ全員のってくる」と真実真面目に信じている私は、
逆を言えば、「性を前面に押し出さねば、男性は私に振り向かない」と思っているのかも知れない。
男性が私を求めるのは、性の欲求を満たすためだけと考えると、自分が無価値な人間に感じる。
身体だけなら、私じゃなくてもよいわけだし。
人間性を愛されて初めて必要とされていると思えるはず。
でも、たとえ人間性を愛されても、私はそれを信じることができず、
性の進展を拒否し続けたら、いずれ去られると思い込んでいる。
別にプラトニックなものに憧れなんかないはずなんだけどなぁ・・・。

この男性像のゆがみを矯正しないと、不幸な気がする。
まともな恋愛どころか、男性と友情さえ育めない。
そして、激しく矛盾するのが、これだけ男性を卑下していながら、
心のどこかで「ヒーロー」を待っている。
今の私を理解し、救い出してくれる王子様。

なんなんだ、この相反する思考は?
自分でも混乱する。
男性は性にしか興味ないと思っていて、男性不信なのに、
でも、ヒーローは求める。
明らかに混乱している。


性に関する話は、あまり話題に乗せたくなくて、今までは避けていたけれど、
これからのカウンセリングでは、この部分も見つめていかなければならないと思う。

男性心理士さんだし、話しにくいんだけど、
でも、自分をしっかり見つめていく上で、避けられない。
改めて、私の男性不信の根深さを知った気がする。
過去の心理テストの結果で、「男性への認識がちょっとずれている」とはドクターから指摘されていたけれど、
それは父親や兄がDVだったとか、
子供の頃から痴漢や変質者に絶えず遭っていたとか、そういう理由だと思っていた。
でも、今は、なんか、そういう表面的なものと違う、
もっと深いところに何かある感じがする。

何が引きずり出されるかわからないけれど、
見つけにいかなきゃいけない。
どんな記憶でも、
どんな種類の自分でも、
ぜんぶ丸ごと受け止めなきゃいけないから。
私は本当の自分を探しにいかなきゃいけないから・・・。

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2009.11.10 Tuesday 15:07

外傷体験の認知

私は確かに、優しい親、兄弟には恵まれなかったし、
小学校の先生に抱きつかれたり、白昼の道端で押し倒されたり、車でさらわれそうになったり、電車に乗れば必ず痴漢に遭ったり、
そんな日常を過ごしてきたが、
その日常が私に心的外傷を与えていると思っていなかった。


父親から母親や兄へのDVの目撃。
兄から私へのDV。
母親から私への人格否定。

確かに酷い家庭だったが、
身体に傷が残るほどの酷い暴力もなく(鼻血はよく出したが)、
骨折などの怪我もしたことがない。

変質者、痴漢は、本当に多くて、
小学校3年生の頃を皮切りに、20代後半まで切れ間がなかった。
夏休みのキャンプへ行けば、そこの大人に襲われそうになり、
友人達と原っぱで遊んでいたら、突然押し倒されて、身体を触られたり、
小学校の先生には、廊下のすれ違いざまに抱きしめられた。
お使いで買い物に出れば、自転車を引き倒されて、車へ押し込まれそうになり、
その他にも、道を聞くフリをして腕を伸ばしてきた変質者は数多かった。
公衆電話で電話をかけていたら、側に立ってマスターベーションをされ、
道を歩けば通り過ぎ際に胸を掴まれたり、お尻を触られたり。
犬の散歩に出れば、延々と後をつけられて、自宅を知られるのが怖くて帰れない有様。


こうして書き出してみれば、わずか10歳かそこらの少女の日常(大げさでなく、本当に日常だった)が、
こんな数多くの性的被害の連続であれば、
トラウマ的記憶として残っても不思議はないのだけれど、
それでも、
「レイプまでされたわけじゃないし」
と、自分で自分を慰めつつ、誤魔化していたのかも知れない・・・。
かつ、母親に何度か訴えても、相手にしてもらえなかったことも多かった。


以前に書いた記事(挫折2009/1/21)を思った時に、パパパッと脳の整理が進んで気づいてしまった。

幼かった私。
圧倒的無力だった私。
容赦のない現実。
挫折。
諦め。
傍観。
自己放任。

幼い少女には、助けてくれる大人はいなかった。
頼れる人はいなかった。
自力で現実に立ち向かうしかなかった。
でも、幼さゆえの圧倒的無力。
そして、味わう挫折、その先の諦め。
少女の心に育つ傍観。
現実は無力な自分では変えることができず、無慈悲に流れていく。
そして、その現実に流されるままになる自己放任。


バスの話でいえば、
わずか4、5歳の子供を1日連れまわし、疲れ果てさせ、
そして、たった50円玉1個与えて(片道のバス代のみ!)、バスに乗せる。

バスでたった10分の距離。
バス亭から自宅までも15分程の距離。

バスの中で寝入り、迷子同然となった幼子。

生まれて初めて、たった一人で乗ったバスは、
幼子にとっては、世紀の大旅行だ。
月面旅行に送り出されたも同然だ。
幼子は、水も、食料も、地図も、何も渡されず、
ただ、「行けて当然。行ってこい」と送り出された。
そして、辿りついた先は圧倒的無力が支配する世界。


考えてみれば、通常はわずか4、5歳の子が親元を離れて、バスに乗って遠くに行くということはないのだ。
幼子の生きる世界はあまりに狭い。
家の周囲と親の目が届く範囲でしかないだろう。

そんな幼子がバスの中で寝入り、目が覚めたら見知らぬ街に連れてこられていた。
頼れるはずの大人(親)は居ない。
一人でなんとかしなければいけない。

あの時、私は確かに、死を見た。
「家に帰りつけなかったら、自分は道端で野たれ死ぬ」と思った。
幼子の心は死の恐怖に埋め尽くされた。

交通事故に巻き込まれていなくとも。
目の前で血の惨劇が繰り広げられていなくとも。
幼子は死の恐怖を感じ、己の圧倒的無力を感じたのだ。


早すぎる挫折・・・。
幼児の心に耐えられようもない程の大きなストレス。
そして、それが日常化していた私の半生。
恐怖を拭い去ってくれなかった大人たち。

眠った私が悪かった。
たった10分起きていられなかった私が悪かった。
ちゃんと帰れなかった私が悪かった。
言われた通り、ちゃんとできなかった私が悪かった(不出来だった)
そう、自分を責める幼子の心を、周りの大人たちは理解していなかった。


こんなことが日常茶飯事だった私の生活。
確かに、他者から見て、明らかなるトラウマ原因となるものはないだろう。
どれも些細な、微々たるものかも知れない。
でも、表層の小さな事件の背後に、
幼かった私にはどうにも抗いきれない、現実という暴力が襲い掛かっていた。
誰が手を差し伸べてくれるわけでもなかった。
誰が救い出してくれるわけでもなかった・・・。



新たな認知だ。
でも、過去のことだ。
次回のカウンセリングで話すだろうけれど、
でも、もう、あまり焦点を当てないだろうと思う。
なぜなら、今の私は知っているから。
私が頼れる人たちが少数ながらいて、
私も「助けて」と言えるくらい大人になったということを。

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PTSDからの回復の本を要約したサイトがあった。
今だったら、ここに書いてあることも理解できる・・・。

心的外傷と回復・ダイジェスト版


2009.10.28 Wednesday 10:48

カウンセリングメモ 3

ゆっくり書いている間に、あっというまに一週間経ってしまった。
今日はまたカウンセリングの日だ。

とりあえず、前回のカウンセリングでのことの最後のまとめ。


大野先生のコラムに私のブログ記事が引用された話をした。
心理士さんは記事内容そのものより、私の感想を知りたがった感じ。

ドクターにも同じ話をした。
「すごいじゃない!」と、少し大げさなくらいに褒められた。
記事をプリントアウトしたものを渡したら、かなり食いついて読んでいた。

取材の希望があった話をして、
確かに、学術的な研究に協力することは意義があるし、興味もあるが、
なにせ、私は適応障害ゆえ、新しい要素が日常に追加されると、
それだけでストレスでまいってしまうことを考えると、即答はできなかったということを話した。
そして、「主治医に相談します」と返事をしたことをドクターに伝えたら、
これまた褒められた。
『ワンクッションおく対応』というのが、今まで私が苦手としていたものだ。

「問いかけられる→応えなきゃ!」
と即反応して、苦しんでいた私が、
即答せずに、「主治医に相談します」と答えられたことは大きな進歩だ。


主治医に相談しますと答えたのは、別に言い訳でもなく、主治医の許可が必要なわけでもない。
ただ、現状、私の治療はドクターと心理士さんと私の3人でチームを組んで進めており、
何か日常と違う負荷がかかるようなことは、私としても事前に伝えておきたい。
そのことによって、揺れ動く私の反応をドクターも心理士も受け止めやすくなるし、
原因究明にかける時間が減るから、治療が素早くなる(薬の変更とかね)。
現状、それがこれが一番合理的な治療の進め方だと思っている。

そんな意味で、新しい負荷が日常へ追加されるのなら、
私自身の心の準備も必要だし、
サポーターの人々にも事前に知らせることにより、サポート体制も万全ということになる。

最近の私は、良い感じで、治療チームに甘えられている。
ちょうど良い距離感を保ちながら、ベストの医療を受ける。
自分自身と友人達以外、頼るあてのない私にとって、なにより心強い。


きっと、こうして、「出来た、やれた」という小さな自信の積み重ねが、
私の生活を大きく変えていくことだろう。

「即対応しなくちゃ!(すぐに対応しなければすべてダメになってしまう)」と思い込んでいた頃から脱皮して、
時間をかけても大丈夫という安心感と、
また、時間をかけてちゃダメというなら諦めるという潔さも手に入れ、
精神生活の幅が広がっていくと思う。


遠き頂は、本当に、すぐ近くまで来ているかも知れない・・・。

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2009.10.27 Tuesday 10:43

カウンセリングメモ 2

引き続き、前回のカウンセリングでの気づき。


叔母から宅配便が届いた話をした。
実家関係のことは、私の傷がかなり深いので、心理士さんも表情がかわる。(←仕事の話だと、お互いそこそこ笑いもまじる)

通販や懸賞などで宅配便がよく届くので、
玄関で送り主を確認しないで受取ってしまったこと。
部屋に持ち込んでから、送り主が叔母だと気づいたこと。
もし、宅配屋さんから受取る前に気づいていたら、受取り拒否したであろうということ。
なぜなら、手紙などは勝手に届くもので無視できるが、
物品を受取ってしまうと、「叔母の気持ちを受取った」と勘違いされるのが嫌だということ。
箱を開けられず部屋の隅に置いたが、そこから自己主張のオーラを感じて、とても不愉快な週末を過ごしたということ。

そんな話をした。

それから、何故、何年も音信不通にしている人間に手紙だけじゃなく、
物品(食料品)などを送ってくるのだろうか?という疑問。
世間的に見ると、まるで、田舎の母親が都会で暮らす子供に対して送ってくるようなイメージだ。
なぜ、叔母がそんなことをするのか、まったく理解できない。
そんなことを言いながら、
「まぁ、叔母からすればこんな気持ちなのかも知れないけど・・・・・」って言ったとこで、言いよどんでしまった。
「いや、わからないな。叔母の気持ちなんか、叔母本人にしかわからないことだし・・・」と言いなおした。
そんな言葉が口から出た時に、私は自分の変化を感じた。

前は、「あの人は絶対こう思っているはず!」と自分の思い込みと妄想だけで自己完結していた。
今は、「人の気持ちなんか本人にしかわからない」と言えるようになった。
これは大きな変化だと感じる。

叔母がどういうつもりなのか、
どんな、感情があって、私に連絡し続けるのか?
姪としての私に愛情を持っているということなのか?
はたまた、実母、実父、実兄弟、全員と絶縁状態の私を哀れに思うのか?
いくらでも想像はできても、
本当のところはわからない。


表層だけ見れば、叔母の優しさを素直に受けない私が悪いということになるだろう。
でも、素直に受けられない事情がある。

叔母と母親の諍いの間に立たされただけではなく、
中学時代も高校時代も、成人した後でさえ、
本来彼女が(遺産を貰うために)面倒を見るはずの親戚の世話を私がしていた。
学校を休んで片道7時間かけて年寄りの面倒をみにいった。
修学旅行を途中で抜けて、年寄りの面倒をみにいった。
また、実質的な介護だけでなく、母親が介護に行っている間の留守居をすべて預かっていたのは私だし、
その他、役所へ行ったり、銀行行ったり、小間使いのように動かされて、
青春など、謳歌する暇はなかった。
年寄りの世話自体が嫌なことはなかったけれど、
あの当時、子供らしくいられなかった私の不遇の時代は、叔母のせいでもあるのだ。

面倒をみていた年寄りが死んだ時、叔母は葬式にも来ず、納骨にも来ず、
でも、遺産だけは自分の権利をきっちり主張し、奪っていった。

私の母親が叔母に遺産を渡さないようにと、私の戸籍を親戚の養女にしようと私に強制しようとしたが、
それだけは最後までごめんこうむった。
たかだか数千万程度のはした金で、あの血みどろの争いに延々と足をつっこまなければならないのなら、1円たりともいらない。
自由はお金では買えないのだから。

親戚の面倒をみたのは、その親戚が身寄りがなく、身体が不自由で助けが必要であり、かつ良い人だったからだ。
でも、その親戚が死んだ以上、私は自由の身になれなければならない。
はした金の遺産相続のために、戸籍をいじられ、延々と続く修羅の争いに落とされるのなんかごめんだ。
私には自由こそが尊い。


叔母が直接私をいじめたとか、意地悪をしたとこかはないが、
でも、本来、叔母がきちんと引き受けるべき責務から逃げたために、
それはすべて私に降りかかってしまった。
思春期の多感な時期に、ずいぶんと苦しんだ。
そんな経由から、私は今も叔母を許せない。

他の親戚達だって、私が犠牲になっているのを知っていながら、
自分達の生活を守るために、私をスケープゴートにした。

そんな人たちに対して、なんの許しを与えればよいのか、まったくわからない。


私が、今、彼らに望むことは、私と接触を持たないことだ。
自分達の自己満足程度の罪滅ぼし行為など、受付ける気もない。
あの人達の欺瞞に満ちた世界に戻る気もない。

私は35歳。
立派に成人し、独り立ちした大人であり、
仕事も住居も自分でまかなっている独立した人間だ。
私の幸せを願うのなら、もう、かかわらないで欲しい。
ほうっておいて欲しい。

あなた達が近寄るごとに、私の幸せが減っていくのだ。



こんな内面の問題を抱えていながら、
笑顔で彼らと向き合うのは無理な話であり、
和解したいとも、許したいとも思っていない。


「人の気持ちは本人にしかわからない」ということを気づける程に回復はしたが、
依然、血縁関係のドロドロは解決しない・・・。

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