2016.04.20 Wednesday

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2012.12.24 Monday 18:10

壊すモノ

12月に入って一気に冷え込んだあたりから体調が落ち着いてきた。
10月、11月は疲労感、倦怠感、眠気が強くて辛かった。

仕事の方もなんとか落ち着いて折り合いがつけられるようになった。
新しいコト、環境に対する適応障害の反応がだいぶマイルドになってきた。
多分、他者からは、もう気づかれることもないかも。

全体的に平和な日々だ。
安心でき、穏やかな日々。


そんな私の穏やかな日々を壊すモノがいる。
母だ。


夏に居場所を突き止められて引っ越したのだが、前住所の大家さん宅に突撃し、ご迷惑をかけたらしい。
不動産屋さんが間に入って、連絡先を教えて良いか確認の電話をくれた。
引っ越した後に、元大家さんと元不動産屋さんに迷惑をかけて、本当に申し訳ない。
賃貸にまつわるトラブルは多々あろうが、煩わしいことだろう。


これが、娘の身を案じてなら美談だが、現実は甘くない。
ただただ、自分のお金のために、私名義の銀行口座が欲しいのだ。
「そんなことない。実の親じゃないか」と、良識ある人にはにわかに信じ難いだろう。
でも、(きっと精神を病んでいる)私の母にはありえるのだ。悲しいけれど、それが現実。


これが勤務先などとか考えたら、ぞっとする。
私が長年かけて築いた対人関係や信頼など、自分の非がないことで失うのだ。
なんとも恐ろしい。
そして、母の側はその自覚がなく、ただただ母の欲求に応えない私が悪いと思っていて、連絡がない以上、実力行使は当然と思っているのだろう。
なんたる思考の暴力。
酷い!恐ろしい!!


多分BPDである母のこの行為は、そのまま私自身の危険性だ。
私だって、重症な時期は母と同じだった。
他人は自分の欲求を充足させるだけの存在だった。
今の私は、それが間違いってわかっているけど、いつ、また、バランスを崩すかわからない。
だからこそ、その危険を忘れず、自分を戒めていかなきゃ。


母に私の生活は壊させない。
BPDも悪化させない。
そのために、できる限り頑張る。

幸せになりたいんだ。



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2012.12.20 Thursday 20:15

マイナスプロモーションをしない

婚活を始めました。
それも、がっつり本気の。


自分は1人でも生きていけると思う。
でも、1人で生きていきたいか?と考えたら、そうではないということに気づいた。

売れ残りの中でも、病気持ちで、稼ぎもなくて、学歴も容姿もない上に、家族とも縁切り中。
どう考えても、婚活市場では価値がない。
でも、「じゃあ、頑張らずにやめる?」と問いかけたら、「努力もしないで諦めるのは嫌だ」と思った自分がいた。


頑張ると決めたら、前向きに頑張らないと損だ。
時間もお金も。
人の価値は年齢ではないが、子供がもてるかどうかは、その人の幸せの価値観に関わるから重要だ。
それならば、一日でも若いうちに始めた方がいい。
実際に行動にうつすまでは、半年以上かかったのだから。


どんな結果になるにしろ、実行しないで諦めていたほどには後悔しない。
しなやかな強さを身につけた自分に気づいた。
もう、むやみやたらなことで傷ついたりしない。
他人の無責任な評価に左右されたりしない。
心の傷はほとんど癒えた。
後は前に進むだけ。
もう、過去に縛られたりしないのだ。



多くの人に会うなかで、気づくことがたくさんある。
昔の自分のような人もいる。
自信がなくて、不安だから、自分の欠点から喋り始めてしまう人。
本人は正直にぶっちゃけているつもりだけど、やられた側にはマイナス効果しかない。
初対面の人から悪い部分だけを聞かされて、愉快なわけがない。
本人は「正直な自分」に酔っているわけだが、その実、「俺のこと全部話したんだから、付き合うならまるごと全部受け入れろよ」というBPD的な0か100の思考だったりする。
自分の良い所を見せようとせず、悪い部分だけ見せて、相手が自分を受け入れるかどうかの試し行為ばかり。

美味しいものを食べにきたのに、不味いよ不味いよと強く主張されるものを食べる人はいない。
ゲテモノ食いにだってほどがあるのだ。


他者は自分の負の感情を消化する道具ではないのだ。
誰にでも辛いことや苦しいことはある。
でも、それは自分のなかで消化して、喜びや楽しみを共有して、人生を豊かにするんだ。

相手にどんな幸せを提供できるのか?
自我の形成が未成熟だったり、自己肯定ができていないと、自分をきちんと理解できない。
自分を知っていないと、良い面をプロモーションできない。
「わかってわかって」と必死に表現するが、真反対のマイナスプロモーションをしている。


そんな人達を眺めながら、自己に置きかえる。
なるほど、私は人からこう見えるのか。
じゃぁ、これはやらないでおこう。

結局、婚活もなんのことはない、自己成長の場なのだ。


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2012.06.01 Friday 22:58

心が辛い時は適度な運動を。

ここの所、さらに追い詰められ、心が悲鳴をあげている。
本当にの限界が近づいてると思う。


心の中のイライラが止められない。
人の声が不快でたまらない。


心がどんどん閉じてく。
内向的な性格がさらに内向的になり、殻に篭って、他者を撥ね退ける。
不信が育つ。
否、育てているのは他ならぬ私自身だ。
他者が私にわざわざ不信感を植えつ受けているわけじゃないのだから。

ただ、心が辛くなると、余裕と余力がなくなり、自己防衛反応が極端に出てしまう。


ここ数週間、心が極限状態まで張り詰められていて、遂にピークを超えて決壊してしまった。

哀しみが心の中にどどぅっと押し寄せてきて、哀しくて、寂しくて、切なくて、悔しくて、腹立たしくて。。。。
色んな感情が私の中にない交ぜとなり、それらのきっかけを作った人に怒号のようにぶつけたかった。

そして、泣きたかった。
吐き出したかった。
もう、持ちきれなかった。
抱きしめて、慰めて、安心させて欲しかった。愛する人に。


でも、私はもう内観できるし、BPDのように真逆の行動表示で周りを試すことが無意味なことも理解している。
いわゆる「正常な人」のように、表に出さず、淡々と処理することができるようになった。
それは、楽でもあるし、苦でもある。
でも、今の私は、環境も、自分も破壊しない。したくない。


会社を出て、ひたすら歩いた。
心が苦しくて、まっすぐには帰れなかった。
すごく疲れていたけど、ただ、黙々と歩いた。
1時間くらい放浪して、そして、疲れたら、バスに乗った。
自分の住む街を過ぎ、隣街で降りた。

その頃にはだいぶ気持ちも落ち着いて、自分の中の「ナニ」が反応してこんなに苦しくなかったのか冷静に見極められるようになってた。
理由がわかれば、あとはそれをケアしてあげるだけのこと。

多分、あのまま歩かずに普通に帰ったら、週末中ずっと引きずったかも。
でも、軽く汗がでるくらい歩いたりすると、どうも、体内のホルモンやら化学物質やらの反応で、神経が穏やかになるっぽい。
もちろん、究極疲労するほど追い込んじゃダメだけど。。。。



今はそこそこ落ち着いてデニーズで、雑炊食ってる。
暖かいものを食べるというのも、落ちつける要素の1つらしい。




更新できない間、色んなことがあった。
色んなことを感じた。
色んな発見をした。
将来の自分用に書きとめておきたかったけど、その余裕はなかった。
時間的にも、精神的にも。



最近、心理士さんがちょくちょく「本当にもう、最終コーナーにまできていますね」と言う。
実のところ、私の中ではまだ先が長く感じるので、最終コーナーという実感もないし、
また、「卒業」に怯えるフシもある。
治療を施す側と施される側だけの関係だけど、でも、培ってきた歴史があり、信頼関係があり、そして、悲しいかな、彼らは「私の理解者」でもあるのだ。
本来であれば、家族、特に親がこの役所なんだけど、私にはいないから。。。
親という生き物はいるけど、私を理解しようと努めてくれる親はいない。
悲しいけれど、それが現実だから受け止めて生きるしかない。
だけど、誰でもそうであるように、理解者との別離は辛いし悲しい。
だから、まだ卒業に至って欲しくないのだ。
もちろん、意図的に遅らせるようなバカな真似はしないけど。。。

心の中を突き詰めていくと、まだまだ色んな問題を抱えているし、すべてをクリアにすることはできない。
もしかしたら、一生かかるかもしれない。
でも、この方向で進んでいくって決めたからそうするしかない。

だから、今できることを、一個ずつ、少しずつ、なんとかかんとかこなしていって、じりじりと前に進むしかないのだ。


当面の問題は、会社の過重労働をどう是正するか。
職を失わない程度に、負荷を減らして、「私の人間的生活」をなんとか取り戻さねば。
じゃないと、本当に重度のうつになってしまう。
そうなったら、ちょっとした運動程度じゃ誤魔化せなくなるからね。

さて、魔法の言葉で自分に元気をつけて、世間の荒波を乗り越えますか。

I love you sweet heart.
People love you too.
Everyone loves your smile.
Be confident.
You are special.

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2012.01.29 Sunday 22:00

ダメって誰が決めたの?

久々に「ダメ」な波きた。
自分に自信もてない。
自分のこと肯定できない。
自分のこと好きになれない。
「また失敗した」って感じる。
自分の総てが許せない。
現実も受け入れられない。

辛い。
辛いよ・・・。
自分で自分のこと大嫌いなんて、究極の自己否定だよ。
なんで、そんな辛い仕打ちを自分に対してするの?
もっと自分のこと(身体も気持ちも)大事にしてあげようよ。

失敗って言うけど、何に対して失敗したって感じているの?
自分の描いた理想通りの言動できなかったら失敗なの?
相手が自分の理想通りに反応しなかったら失敗なの?
人も自分も、そんな計算しつくされた機械のように行動できないよ?
なのに、たった1つしかない選択肢を最初の1回で選べなかったら「Failure(落伍者)」なの?

極端すぎるよ。
最初の1回で正解できなかったら「ダメ」なんて、誰が決めたの?誰に教え込まれたの?
なんでそんなに間口が狭いの?
自分の友達にもそういう態度とるの?
「あなた最初に失敗したからダメ人間ね」って言うの?
言わないでしょ?

心の奥底に刷り込まれている感覚だっていうことも理解できるけど、それを刷り込んだ人を恨んでも現実は好転しないよ。
前進もうよ。
辛いの、もういやだよ。
辛い過去を眺めるのは止めて、もう、幸せな未来へ向かって前へ進もうよ。

失敗は何度したっていいんだよ。
失敗は悪いことじゃないんだよ。
努力の結果なんだから。

もう、自分をいじめないで。
追い詰めないで。
こんな悲しい涙、もう流さないで。

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2011.10.10 Monday 21:38

理解し合えないということを理解する

忙しさにかまけて、処方内容を書くだけで精一杯だったけど、私の中では日々「気づき」と「変化」が起こっている。
最近になって、やっとわかったことがある。
それは、「人と人とは最終的には理解しあえない」という事実だ。
これは、寂しいことでも、悲しいことでも、ネガティブなことでもない。
「当たり前」なことだと、やっと理解できた。

私はずっと、(特に恋愛関係において)親しさの純度が増せば、最後には以心伝心のようにお互いの価値観とか、考え方とか、感じ方とか、全部が理解しあえるものだと思っていた。
でも、それは違うと、ある日気づいた。
もちろん、気づくまで数年か、数ヶ月か、わからないけれど、自分の頭の奥の方でぼんやりと考え続けていたんだろう。
ある日、ある時、ふっと私の頭の中に「答え」としてひらめいた。

人と人は、まったく同じ思考には成りえることはない。
だから、最後の最後まで、完璧に理解し合うことなんか不可能だ。
そして、この現実を大前提として、人と人は、お互いに歩み寄り、理解できる範囲を共有し、そして、理解に及ばない範囲は否定せず、切り取らず、許容、容認し合って生きているんだ。
それが、相手を「尊重」することであり、互いにそう在ることが、お互いを受け入れていることになる。

私はずっと、「受け入れる」ということを、100%総て完璧に受け止めなければならないと思い込んでいた。
今は、そうは思わない。
受け入れがたい部分、理解しがたい部分、共有しがたい部分があっても、相手に対する敬意は変わらない。相手の存在や人格を否定する気持ちも怒らない。

もちろん、理解できる部分が少なすぎると、それは仲良くなるのは難しいけれど、そこは「相性」というものなので、ほうっておけばいいのだ。
無理に好きにならなくてもいいし、無理に嫌いにならなくてもいい。
ただ、そこに「ぽかん」と浮いた空気のような存在として受け止めておけばいいのだ。


人と人とは、根底からは理解しあえない。
だから、努力するんだ。
出来る限り、理解できる範囲を広げようと、相手を知ろうとして、自分も表現して受け止めてもらう。
それが対人関係なんだ。

今までの私は、こと、恋愛関係において、関係を構築する努力はしたけれど、継続する努力はしてこなかった。
「継続する努力」というものを知らなかった。
お互いに好きになり、付き合い始めれば、あとはそのまま関係が勝手に進んでいく(継続していく)ものだと思っていた。

でも、今は違うということに気づいた。
理解し合えないから、理解し合える部分をより大切にし、
関係を継続させるには、それなりの労力を費やし、お互いへの愛情と敬意を示し続けていくこと。
それが大切なことなんだと、やっと気づいた。


自分のことをわかって欲しくてたまらなかった。
理解して欲しかった。
一心同体だと思いたかった。

でも、それは幻想だ。
それは、フィクションの世界でしかありえない。

私はもう、一心同体になれなくても、愛が足りないとは思わないし、
理解し合えない現実を寂しいことだとも思わない。
むしろ、好意的に肯定している。
これでやっと、誰かと正常に理解し合える私になれたってことだもんね。
気づけたってことは、幸せなことだ。

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2010.12.10 Friday 11:21

憎しみを手放す −虐待の連鎖を終える−

少し前まで朝日新聞で不妊治療、育児、虐待などに関する連載記事が掲載されていました。

なんとはなしに読んでいた記事ですが、連載が進み、虐待に関係する記事を読んでいると、
やはり、自分の中の傷がオーバーラップして涙ぐんでしまいました。
その中でも、特に心に響いた記事がありました。

<はぐ> 虐待、その先に −「私悪くなかった」 心のまひ解けた−

私の母親もよく口では「愛情があるから育てているんだ」とか、「お前は可愛がられている」とか言っていましたが、
それを裏付ける言動はなかったです。
でも、口先でそう言われ続けた結果、私は24歳頃まで自分が虐待を受けていたことに気づきませんでした。

言葉で「愛されてる」と言われ続けた結果、母親が気分次第で悪態をつこうが、私を罵ろうが、
「それが普通」と思い込んでいました。

アイルランドでカウンセリングを受けた時に、カウンセラーに促されて、初めて自分の状況を客観的に眺めてみることができました。
その時まで、私はずっと「私が悪い」と思い込まされていました。

あの時、泣きながら叫んだ言葉にすべてが集約されていると、今でも思っています。

"It wasn't me! I wasn't wrong!"

そう、「私は悪くなかった」と、私もそう叫んだ。


>>魔法が解けたような気がした。私、悪くなかったんだ
>>虐待されていたんだ。だから母のことが嫌いだったんだ。

私も物心ついた時から、母親との関係に違和感を感じていた。
小学校に上がり、星座の相性占いを見たときに、蠍座の母親と獅子座の私は相性が悪いと書いてあった時に、素直に納得してしまったことがある。
「そうか、もともと相性が悪いのか。だから、私と母は上手くいかないんだ」

もともとヒステリーで私を執拗にいじめる母親だった。
それでも、まだ父親と離婚する前はましだった。
13歳で父親が出て行ってからは、タガが外れたように私を責めた。
彼女の身に起こった不幸はすべて私のせいにされた。
「お前なんか生むんじゃなかった」「お前を生んだせいで私の人生はめちゃめちゃだ」「お前は人の顔に泥を塗ることしかしない」
毎日、毎晩罵られた。

あの頃、自分が虐待を受けている自覚があったなら、
周りの人へ助けを求めることができたかも知れない。
でも、自覚がなかった。
だから、中学も高校も、周りの親しい友人も皆、私が虐待を受けていたことを知らない。
暴力もたまにはあったが、メインが精神的虐待は、本当に表層に出にくい。
でも、心を蝕む。

子供というのは、無力だ。
親の一方的な言い分に洗脳されてしまう。


世間一般的に、親は尊ぶものであり、育ててもらった恩に感謝するべきものという概念がある。
親を愛せない、親を尊べない、ましてや感謝もできないどころか、憎んでいる。
そんな感情を持つことさえ悪であると感じ、さらに自分を認めてあげられない。
人に言っても理解されないこの憎悪。

私が自分を許すことができないのは、母親が私を許すことがなかったから。
小さな子供に無理なことをさせて、それが成功できなかったら、絶対に許さない。
何年経っても執拗に責め続ける。
子供の自尊心を打ち砕く。
平穏な精神状態で生活する生存権を奪い取る。
そして、そのことの自覚が無い。
だから平気で「愛してやってるのに、自分の期待に応えない子供が悪い」と自分勝手な理屈をたてる。
子供を一人の独立した人格として扱っていない。

掘り起こせばきりがない。
これを書きながらも涙は止まらない。
悲しくて、悔しくて、痛くて、辛くて・・・。
ただ普通に愛されることが、なぜ、こんなにも困難だったのだろうか・・・?


子供は育てたようにしか育たないとはよく言ったものだと思う。
今の私は、まるであの頃の母親のコピーそのままだ。
彼女の悪い部分をそのまま受け継いだ。
そして、私は自分がやられたと同じことを、そのまま元恋人にやった。
その時は自覚がなかった。
とにかく過剰すぎるストレスに溺れて、どうにもできなくて、自分の中の怒りも憎しみも、すべての負の感情を彼にぶつけてしまった。
無意識の投影があったことが、今はわかる。
そして、この先も、きっと恋愛関係がある相手に同じことをしてしまうであろう自分がわかる。

「自分が好きで大事にしている相手から、なぜこんな目に遭わされるのか」
と言った彼の言葉は、そのまま、子供時代の私の心だろう。
被害者の私が、加害者になった。
自分が辛い目に遭ったからって、他の人に同じことをし返して良い道理なんかない。
私は元恋人を虐待した。


感情はたくさん波立つ。
苦しみは消えない。
憎しみも消えない。

だけど、その感情を、もう手放して、前へ進む時期が来たと思う。
まだ許せない。
母親は反省していない。
謝ってもいない。
私の人生の大半を棒に振らせるくらいの衝撃を与えた人間を、手放しで許す理由なんかない。

でも、いつまでも憎み続けて、彼女と同じように、他人を許さない人生を送っても、私は幸せにならない。

子供は育てられたそのまんまに育つ。
ある一定年齢までは。

大人になって、母親から受け継いだものが間違いだと気づいたなら、
そしたら、そこが変化へのチャンスだし、
そこで変化を選ぶか、とどまるかは、自分自身の選択であり、いつまでの親のせいにはできない。


傷ついた心は癒せない。
心の痛みも消せない。
記憶もなくならない。
無かったことにはできない。
でも、同じことを繰り返して行く選択を自分にするなら、それは自虐だ。

母親を許さなくたっていい。
憎んだっていい。
でも、自分を許すことはしなきゃいけない。
許せないことを人のせいにばかりしていちゃだめだ。

私は前に進まなきゃ。
そして、私が前に進んだ時に、きっと癒しはやってくる。
そして、虐待の鎖はそこで断ち切れる。

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2010.09.29 Wednesday 15:34

本当は怒りじゃない

最近、ふっと気づいたこと。
私はネガティブな感情の多くを「怒り」で表現しているということ。

不安、恐れ、怯え、悲しみ、痛み・・・この手の感情をすべて怒りで表現している。
元恋人と一緒にいた時期は、私のBPDの劇症期だったと思うんだけど、あの頃、完全に子供帰りしてしまっていた。
まさに、「すぐキレる子供」状態だった。

確かに、私の実家の人達は、いわゆるキレキャラな人達ばかりだったけど、
でも、子供時代から青年時代まで、私はキレないタイプだった。
内向してしまう性格もあり、「相手に通じない(理解してもらえない)」と感じると、表現することを諦めてしまっていた。
「わからない人相手にわかってもらおうと頑張るだけ時間と労力の無駄」と、バッサリ切り捨てていた。

それが、BPDを発症した後の私ときたら、妄想全開で、ちょっとでも自分の望むものから反れるとブチ切れて、相手のことを責めまくり・・・。
今だからこそ、こんな風に客観的に見えているけれど、あの当時は「わかってくれない相手が悪い!」と本気で思っていた。

私の状態が悪かったこと然り、彼との関係性が不安定な基盤であったこと然り、様々な要素があったけれど、
やはり、一番の原因は私にあったと思う。

あの頃、私はとにかく、怒って、怒って、怒りまくっていた。
怒らない日なんて無かった。
すべてのことに怒っていた。
どこから沸いてくるのかわからないけれど、憤怒の塊だった。

最近はあまり怒らない。
自分の中でのいらぬこだわりをリリースしたら、心がとっても楽になった。
心が楽になると、ちょっと余裕も生まれるから、対人関係もおっかなびっくり保てるようになってきた。
他者を信じるのは怖いけど、ちょっとだけ頑張ってみようと勇気を持てるようになった。
そして、気づいた。
今でもネガティブストレッサーに対しては、怒りで反応してしまう自分に。

あんなに怒っていた時期に、本当に怒りに値する事柄はどれだけあったのだろうか?
沢山怒っていたのは、怒りに他の感情も乗せられて増幅していたのではないだろうか。

他者が言ったちょっとした一言に傷ついた時に怒った。
状況がわからずに混乱した時にも怒った。
不安が高まって恐怖にかられて怒った。
しっかりと自分で自覚できていなかった哀しみも怒りで表現された。

純粋に怒っていることって、本当にあったのかな?


今も、怒りの行動化はパターン化して、私の反応に組み込まれている。
意識せずほうっておくと、怒ってしまうのだ。
こんなんじゃまともな人間関係を育めない。

条件反射で怒ることをやめて、根本の感情を素直に相手に伝えれば、相手だってちゃんと対応できる。
でも、理由もなく怒る人とは関わりたくない。
それって自然な感情だよね。
私だって嫌だ。
本当は寂しいだけなのに怒鳴るとか、そういう行動する人の傍にいたくない。


ネガティブ・フィーリングの扱い方の訓練をカウンセリングに組み込んでもらおうかな。
心理士さんに相談してみよう。

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2010.09.07 Tuesday 17:14

黙っておくことが難しい

ちょっと、しっかりと文脈をそろえて書けないのですが、
自分の中で「病的」と思われる部分と現在戦い中です。
なので、書きながら自分の思考を整理していきます。


先週くらいから仕事が暇だったせいか、頭の中はどんどん妄想が展開するし、
会社でも、色々といらぬ口出しをしてしまう悪い癖が出ている。

私が口を挟むべきでないことにまで、ついつい言及してしまったり、
「はい」と返事をして仕事を請ければいいのに、余計な一言を言ってしまったりしてしまう。

悪気も悪意もなく、ただただ「一言多い」のだ。
しかし、その「一言多い」が積もれば対人関係に影響を与える。
「なんとなくこの人面倒くさいな」という心象になる。

余計な口を挟む本人は、自分の意見や助言を述べているつもりなので、
「よかれと思って」なんだけど、
言われた側は、「なんであんたにそこまで言われなきゃいけないの?」と、ムっとする。


「自分の立場をきちんとわきまえた言動」
これが今の私に必要なことであり、そして求められていること。

待ちの姿勢で仕事をするということではなく、
必要なことは能動的にこなし、不要なことには自分から首をつっこまないこと。
つっこみたがる習性の裏には「自分を認めて欲しい願望」があり、ただの自己満足アピールなのだ。
そして、往々にしてそのアピールはネガティブインパクト相手にを与える。
そして、自己満足のアピールがさらに加速して、自分の思うとおりに周りを動かしたい(変化させたい/コントロールしたい)という欲求になる。

過干渉・・・
そういうこと。
人間関係を学ぶ時期に放置と過干渉という両極端なコミュニケーションしかなかった私にとって、
どうしても、人間関係=なんでも先回りして(好意を/善意)売りつけるか、すごく距離をとった状態かに偏ってしまう。

そうではない在り方は、現在模索中。
最低限、自分のそういう欠点を認識できている今は、習慣として悪い癖がでても、反省もできる、
苦しいながらも、なんとか自分に歯止めをかけようと頑張れる。


会社のメールを見ていると、言葉遣いだの色々で問題ありな人が目につく。
そうすると、問題意識の自分が生き生きと発動して、上司にチクりそうになる。
本当に必要なことはもちろんチクってもいいけど、そうじゃないものは私が口出しする範囲じゃない。
「私が気づいたんだから、私が言わなきゃ!」みたいな自分勝手な責任感は自己満足そのものであり、私はその能力を発揮するように依頼されていないし、そのための給料は支払われていない。


でも、でも、でも!
鬼の首をとったかのように意気揚々とちっちゃいことを告発したい欲求が強く首をもたげる。
『だめだよ。余計なことだよ』と自制抑制しても、数時間後には欲望に負けて、自信まんまんで上司に報告しちゃったりする。
報告ならまだしも、「それじゃダメですよ!」と上司を叱り付けるという無礼っぷり・・・。
で、言っちゃった後は自己嫌悪。
『ああ、またやっちゃった・・・』と。


ふぅ〜・・・。
ここまで文章に書き出して、少し欲望が落ち着いてきた。
冷静に立ち戻れた感じがする。
さっきまで、「こんなメールありえないし!△△さんは一人で暴走していてよくない!お客様に失礼だ!」と自分の一方的な印象のみで断罪して、カッカきていたのだ。
相手は自分よりず〜〜〜っと偉い人なのに、私は何様だよ・・・と。

頭で冷静に考えることができても、一度エンジンがかかった感情を抑えることが難しい。
これがBPDの特徴なのかしら?
平穏(暇)だと妄想ばかり連発して、自分から気分(精神状態)が悪くなるのも?

絶対自分にとって得になりえないこと(余計な口出しや妄想の連発など)を、頭でわかっていて、やめたいけれど辞められないというのが、精神的な(ゆるやかな)自傷っぽい感じがする(だって自分のこと大事にしている行為じゃない)

平和な状況でも、次から次へと不幸を追っていく(問題を起こす)BPDの特性ってこういうことなのかな?
平坦な日常に空虚感って表現されているけれど、私は空虚とか虚無というより、
ひたすら、(間違った)自己アピールが強すぎて抑制できていない感じがするけど・・・。

次回のカウンセリング時に心理士さんと話してみても良いかも。

なんにしても、こっからここまでが病気で、こっちまでが性格とか線引きはできないんだから、
「自分にはこういう傾向がある」って認識している部分で改善の必要がある部分は改善の方向を目指して努力していくしかないと思う。

間違ったコミュニケーションの在り方とかは、習慣なんだから、時間をかけて変えていくしかない。
焦らず、じっくりと腰をすえて頑張る気で自分と付き合っていくしかないんだって、腹を決めなきゃね。

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2010.08.30 Monday 11:29

記憶の整理

甲状腺のことをつらつらと書いていたら、芋づる式に当時の現実認識も始まってしまった。

最近はあまり過去のことを掘り起こさないようにしている。
もちろん、無理に忘れることはしない。
普段は忘れていても何かがきっかけで浮かんでくる記憶というのは、良きにしろ悪しきにしろ意味があると思う。
穿り返せばそれに固執して視野が狭くなるし、無理に忘れようとすれば抑圧される。
だから、基本的にほったらかしにすることにした。

思い出してしまったら、ぼんやりとソレを眺める。
ある種、他人事的な感じで眺めると、物事の輪郭が見えてきたりする。
ここで正否とか、善悪と表現せずに「輪郭」と表現するのは、良い悪いを決めようとすると視点が傾いてしまうから。
あくまで全体像を眺めて、「現実(事実)」を認識することによって、自分の過去の痛みを解放してあげること。
そんな感じのものかも知れない。
誰が正しかった、誰が間違っていたと区分けする思考をしても、誰も楽にはなれないからね。

自分の感情に根ざした「思い込み」から切り離して眺める現実はとてもフレッシュで、発見が沢山あるけれど、
必ずしも嬉しい発見ばかりではない。
そんな時は、少し感情が沈むけれど、それも肯定して受け入れることで、前へ一歩踏み出そうとしているのが最近の私だったりする。


私の甲状腺が見つかった時の話は前記事に書いた通りなんだけど、
それに伴って思い出された記憶・・というか、再認識された現実は少なからずショックだった。

なんたって、17歳の私は一人で専門病院行ったので・・・。
カウンセリング室でふと思い出した時に思ったことは、
『おいおい。近所の内科と違って専門病院での検査&結果を未成年一人にいかせるって、どうなのよ、うちの親は・・・』ってこと。
今さら恨みつらみを言う気はないが、本当に親として無責任だなぁ・・・とため息まじりに呆笑いをしてしまった。
逆に心理士さんの方が、この親の無責任っつーか、放置っぷりに感情的になりかけてた。

母親に関して言えば、異常な過干渉で「彼女の考えがすべて正しい」と私に刷り込み(洗脳)をする部分もあれば、
親としての立ち居振る舞いが必要な部分をまったく(無自覚に)放棄してしまい、
結果、私が必死に(精神的に)背伸びした生活を送ることを余儀なくされた。
当時は母親のそんな特性を理解できていなかったので、すべては母親の感情次第という非常に不安定な生活環境だったと思う。

甲状腺のことを調べたいから家庭の医学の最新版を買ってくれと言ったけど、お金の無駄と拒否られた(←当時はインターネットなんてものもなかったし、素人が手にいられる医学情報は家庭の医学くらいだったと思う)
結局、自分のお小遣いで7、8千円する本を買った私を見て母親は、「医学書なんてどんどん新しく書き換えられるから、すぐに情報が古くなって使えなくなるものに高額のお金払ったあんたは本当にバカだ」と言ったのでした・・・。

私は17歳の女の子が自分の病気に一人で悩んで、それを調べるために大枚をはたいたことを哀れに思うことはできても、愚かだとは決して思えない。
本来であれば、親である人間が病院に同行してドクターの話を聞いて、それでもわからない部分について専門書を買って調べて、子供を安心させてあげるということをするべきだったとも思う。
病院の治療費(お金)さえ出せば親の役目はおしまいだとは私は思わない。
ただ、そういう理想的な親を持っていなかった娘は自分でお金を出して本を買って、自分で調べた。
ただそれだけのこと。

見方を変えれば、とても自立した娘である。
別の見方をすれば、まだ17歳なのにすべてを自分ひとりで背負わなきゃいけないなんて可哀想とも思える。
なんにせよ、17歳の私が、甲状腺という初めて聞いた臓器の病気に対する不安を払拭するために払った8千円というお金はとても尊いもので、決して無駄金じゃない。
愚かだとなじる母親こそ、本当に愚かな人だ。
今はそう思う。


確かに、客観的に見れば、私は「可哀想な子」だよね。
もちろん、まだ母親に対する怒りも怨みも消えない。
私の心の中に大きな悲しみとなってのしかかっている。
でも、様々な真実が冷静に思い出せるようになった今、憎しみは薄れてきたかも知れない。
むしろ、哀れみが出てきた。
愚かで哀れな人って・・・。

まだまだ、自己憐憫に浸って悲劇のヒロインになってしまう部分も消えないけど、
でも、最近は、一歩引いて物事を見れるようになった。

「こんな哀しい事実があった」→「じゃあ、私はそれ(嫌なこと)をしないようにしよう」といった反面教師的な感じ。
もし、私が親になる機会があったら、子供に過干渉にならないように気をつける必要がある。私は距離感の調整が難しい性質の人間だから。
でも、親としての責任はちゃんと全うしたいと思う。
そうできるように努力したい。

親だって人間で、そして人は誰も完璧にはなれない。
間違いだって犯す。
その間違いが多すぎると子供の負担がでかくて困っちゃうんだけど、
でも、間違いを責めてばかりいたって、過去は変えられないし、記憶も塗り替えられない。
自分の中の辛く哀しい記憶だって消せないし、忘れることもできない。
許すにはもっともっと多くの時間が必要だ。
だけど、消せない過去の辛さを何度も反芻して苦しみを増幅させても、今の私も未来の私もハッピーになれない。

結局、最後に行き着いたのは、
忘れられないし、許せないのなら、今は無理せずそのありのままの感情を受け止めれればいいということ。
ただし、こんなことがあった、あんなことがあったと無理に掘り下げて思い起こして憎しみを募らせるのではなく、
勝手に浮かんできた記憶を受け止めて整理(処理)するだけにする。
整理というのは、感情を凝縮するのではなく、客観的に「ふーん。こんなことがあったんだ。そんな風に思ったんだ」と眺めて理解すること。
一方的な自分の感情だけではなく、相手の状況も想像して少し情状酌量も加えたりして、フェアに受け止めること。
そんな風に理解できたことに関しては、「じゃあ、自分はこうしよう」とbetterな対応を考えること。
ある意味、哀しい記憶(経験)の有効利用というか、まぁ、そんなものだよね。

こういうのを、トラウマの昇華って表現するのかも知れないけど、私はその言葉は使いたくないかな。
なんか、言葉が綺麗すぎちゃって。
そこに至るまでの壮絶さが置き去りにされている気がするんだもの。

「トラウマは誰にでもある」って言う人がいるけど、そう言う人に限ってトラウマってものの本質をわかっていなかったりするんじゃないかなぁ・・・って思う。
きっと、その人の頭の中では「嫌な記憶=トラウマ」って感じなんだと思う。
そりゃ、嫌な記憶なら誰だってあるよ。ない人はいないと思うよ。
でも、ただの嫌な記憶は精神疾患を引き起こさない。
苦しみのあまり異常行動や、異常思考などを引き起こす記憶、それがトラウマであり、ただの嫌な記憶とは一線を画すと思う。

嫌な記憶の昇華は簡単かも知れないけれど、トラウマはそんな簡単ではない。
逆を言えば、簡単に昇華できるなら、それはトラウマじゃないんじゃない?と。
そんな意味で、昇華って言葉に私は抵抗感を覚える。
だから、私の表現では「トラウマの有効利用」
どうせ忘れられず苦しむのなら、せめてそこから自分の糧になるものくらい見つけ出さないと苦しくてやってられない。
そんな風な受け止め方に変化した。

最近の私は嫌な記憶が蘇るたび、「ああ、そうなんだー。それは哀しかったねぇ。辛かったねぇ」と肯定してあげている。
自分のことを、多少他人事的に受け止めてあげることで、感情の波に飲まれず、客観的に眺めることができている感じがするかな。
そうしないと、辛すぎて、いつまでも前に進めないからさ・・・。

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2010.08.10 Tuesday 16:02

イライラを濃縮還元しないこと

今の上司の下について8ヶ月。
あっという間だったけれど、もう8ヶ月も経ってしまった。
まだまだ色々なことはわからず手探り状態ではあるけれど、
ある意味その「わからなさ」が私に謙虚さを与えてくれているような気がする。

少しずつだけど、私の中で大きな変化も起きている。
いらぬ問題の指摘ばっかりしなくなったということ。

以前はいらぬ正義感で正論をふりかざし、社内システムの不備なり、業務手順なりを非難しまくってきた。
今から思えば、とても「ウザい」行為だ。
本人は悪気はなく、あくまで「修正(改善)すべきだ!」という正義感に満ちているのだが、
周りからすれば、「言ってることは正しいんだけど、振り回さないで欲しい・・・」といったとこだろうと思う。

子供の頃から事なかれ主義というものをものすごく嫌っていて、いつでも問題意識を持つことが正しいことだと思っていた。
でも、最近わかったのは、問題意識を持つことと、現状や他人を糾弾するのは別物ということ。

融通が利かない性格だから、ちょっとでもおかしいと思ったら徹底的に追求して改善のために尽力するが、
果たしてそれは組織にとって必要なことか?というと、少し別になってくる。
その組織そのものを眺めて問題点を洗い出し、改善策を考え実施するとなれば、ある種のオーダーメイド的な改善だけど、
「こうあるべき」論が先に来る問題提起は、その組織の規模や状況などを鑑みず、現実を完全なる理想に吊り上げようとする。

組織は人で構成されていて、その中にいる人達には感情がある。
「自分達らしさ(社風等)」を尊重されず、「こうあるべき!」だけ押し付けられて、
ましてや、その「こうあるべき!」の現実的必要性を感じないとなると、その問題を主張するだけの人間はただただ煙たく、うっとおしい人間になる。

私が、数々の企業で業務能力への非難はないまま、なお雇い止めにあった理由は、きっと上記のようなプチクレイマー的な言動のせいだったかもね・・・と最近思う。
「扱いづらい」
この表現に集約できると思う。

そこにある環境、与えられた環境に合わせる努力をせず、
「こうあるべき!」という自分ルールを周りに押し付けていたから、結果私自身も働いていてハッピーじゃなかった。(確かにセクハラ、パワハラなどがひどい上司もいたから、すべて私が悪かったわけじゃないけど・・・)

今の上司は、とてもマイルドな人だ。
問題意識はしっかり持っているし、社内の改善すべき点も把握している。
人の好き嫌いが激しくない上、色眼鏡で部下を見ないで、人間対人間で誠意を持って接している。
無駄に他者を攻撃しない。
でも、八方美人にも優柔不断にもならず、決断すべきは決断する。
もちろん人間なので、愚痴ったりすることもあるし、相性が悪い人もいるけれど、
たいていのものは受け止めて、受け流して、飄々としている。
責任感もしっかりとあり、でも恩着せがましくなく、感謝の気持ちを常に持っている。

私が見習うべき点が多くある人だと思う。

あるエピソードで、私は目からウロコが落ちたことがある。
社屋移転後の最初の出勤日、個人割り当てのキャビネットが使い勝手が非常に悪いものが設置されていた。
私が「総務に言って交換させましょうか?」と聞いたら、
「いいよ。文句いっても始まらないし、与えられたものでなんとか使うよ」となんの嫌味や抵抗の感じもなく、
本当に自然にするりと上司に口から出てきた言葉。
思わず「えらい!!」と言ってしまった・・(上司に向かって!!!w)

私だったら、仮にも組織ヘッドのデスクにこんな使い勝手の悪いオフィス家具設置するなんてありえない!仕事に対して気遣いが足りない!とかって、延々と文句が繋がっていくけれど、
そうじゃなく、無いものねだりをしない姿勢というのは、とても新鮮だった。

そんな上司から、良い所を見習いながら8ヶ月、
まだまだ色々な心癖はあるけれど、自分からイライラを取りにいかなくなったし、
社内の他の人に対する不満や非難の感情も減った。

まだまだ付け焼刃だから、ややもすると、昔の私が出てくるところもあるけど、
少しずつ、感情の維持の仕方や、心の置き所、他者との距離感などを調整していく内にきっと新しい自分が生まれてくると思う。

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